2022年5月5日木曜日

0343 ムーン・リヴァー (角川文庫)

書   名 「ムーン・リヴァー」 2009年
著   者 栗本 薫    
出   版 角川書店 2017年12月(文庫版)
文   庫 464ページ
初   読 2022年5月4日
ISBN-10 4041061474
ISBN-13 978-4041061473

 栗本薫を読んでいたのは主に中学生の頃で、ご多分に漏れず『グイン・サーガ』『魔界水滸伝』『ぼくらシリーズ』などが中心だったが、『翼あるもの』を読んだのも多分中1か中2の時。
 今にして思えばあの年齢であの本ってどうよ、と思わないでもないが、『風と木の歌』だって読むとなったらあの年齢だろうし、近代以前であればその年なら婚姻していてもおかしくないわけだから、実際それほどでもないのかも、と思ったり。そういえば源氏物語(円地文子訳)を全巻読んだのも中1だったよな、とか、そういえばあの頃は一日1冊文庫が読めていたよな、とか、友人たちと回し書きで小説書いていたよな、とか、友人が書いたロマンポルノをみんなで回し読んでたよな、など、ヘンなことも含めて、いろいろと懐かしく思い出した。

 それにしても、凄いものを読んでしまった。
 人間の中にどれほどの愛と欲があるのか。これほどの苦痛に耐えて人は人を愛せるのか。これを読んだ衝撃が上手く表現できない。透の存在が綺麗過ぎて、息が詰まる。

 『翼あるもの』での島津と透の出会いから、どれほどの愛憎の物語を経て、この本の二人に到ったのか。
 透は島津への深い信頼と愛情に支えられて日々を送りながら、巽を殺害した罪で服役中の良の出所を待っている。透にとっては、島津への愛も、良を愛することも、これまでまったく矛盾してこなかったようだ。透にとっては、島津は全面的に信頼し、自分の全存在を受け入れ、愛してくれている『他者』、そして良は、まさに片羽、自分自身にも等しい存在なのかもしれない。

 透がその名の通り透きとおっている、というか、憑きものが落ちたように浮世離れしていて、人でないもののように美しい。『翼あるもの』の頃の、苦悩に満ち満ちていたころからすると、堅くみにくい鱗の外皮を脱ぎ捨てて、赤子のような清純な柔らかさに満ちている。
 自分の死期を自覚した島津は、その透への深い愛情に肉欲が伴っていることをついに認めた。島津も今西良も、どちらも愛している、と言ってはばからない透に対して、島津は嫉妬を剥き出しにし、生涯の終わりに、一生で最初で最後の、血みどろの凄惨な情愛を透に向ける。

 そして、透は、どれほどの苦痛を受けてなお、島津を慈しむ。

 そして、透を嬲り殺そうとしながらも殺しきれなかった島津は、自分の死後のあれこれを整え、自分の人生を自分の意志で全うする。



 森田透とは、希有な存在だ。
 自分を投げ与えるようにしてしか、他人と関わることのできなかったかつての透の人生で、苦しみは苦しみのままに、悲しみは悲しみのままに、暴力は暴力のままに、愛は愛のままに、自分の中に受け止めている。若い未熟なころは、それぞれの鮮烈で苦しい感情を、嫉妬とか憎悪とか、恨みで濁らせていたが、長い彷徨の末に、自分の半身とも言える今西良との再会を果たした頃には、透は、自分の苦しみをありのままに受け入れ、自分に関わる人々には惜しみなく愛を与える人間になっていた。こうなるまでに、いかに苦しい道を歩んできたか。40歳近くなった今、巽殺害の罪を償うために服役している良を待ちながら、透の存在はあり得ないほどに清らかで美しいものとなっている。
 透の生き様がどれほど稀少なものか、島津は気付き、それを愛し、手の内に守るようにして暮らしてきたのに、死は二人を分かったのだ。

 憎愛、妄執、死への恐怖に根ざす凶暴性。生の限界が目前にあるからこそ解き放たれた肉欲。その描写はただごとではないのだが、何よりも島津を失ったあとの、透の絶望的な孤独に、そして、それでも生きて行くことを、受け入れた透のこれから、に、読後もしばしとりつかれるような気持ちがする。

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