2025年8月17日日曜日

0563 好きだと言って、月まで行って (モノクローム・ロマンス文庫)

書 名 「好きだと言って、月まで行って」
原 題 「To the MOON and BACK」2023年
著 者 N.R.ウォーカー
翻訳者 冬斗 亜紀
出 版 新書館 2024年11月
文 庫 400ページ
初 読 2025年8月17日
ISBN-10 4403560598
ISBN-13 978-4403560590
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/129720163


 N.R.ウォーカーは、オーストラリアのゲイロマンス作家さん。初読み。翻訳は安定の冬斗亜紀さん。とても読みやすい。
 主人公の一人、ギデオン(ゲイ/シングルパパ/失恋直後/ヒゲのいい男/高学歴・高収入)の背景とか、もう一人の主人公トビー(ゲイ/イタリア系オーストラリア移民の家系/高学歴のプロのナニー(超有能))の背景とか、オーストラリアのLGBTQの様子とか、育児に関わる社会制度とか、ストーリーの背後にぎっしり詰め込まれているものがあって、これを全部読み解けたらかなり深いな、と思うけど、単純に不器用男2人がモダモダ恋に落ちるロマンスとして、十分に楽しい。
 出だしこそ、ヒゲのタフガイが慣れない子育てでおたおたしている話かと思ったが、この「ヒゲのタフガイ」が思いのほか繊細で、むしろ女性的(っていうか、こういう性格描写の語彙がどうしても性的役割分担を色濃く反映しているのは、なんか良い形容詞がないものか)なのが、ミスマッチで面白い(というか、これをミスマッチと感じる感性がそもそも性差に対する意識が固定化しているよな)というか。
 読んでいると、さりげなく、固定化したジェンダー意識に揺さぶりをかけられているようで、なんか意識の柔軟体操しているみたいで良いよな、と思う。日本の社会でLGBTQが社会権を得たのって、BLもそれなりに大きな役割を果たしていると思うのよね。

 ストーリーは、突然シングルパパになってしまって困惑・疲労困憊している男のところに、超有能な男性ナニーがやってきて、あっというまに生活改善して、あっというまに恋に落ちる、というまあ、ありがちな感じなんだけど、その恋に落ちる過程や、2人の心理描写がとてもとても良い。早くに親を亡くして親の愛情に飢えていたギデオンが、トビーの大家族に心温められながらも、寂しく感じる描写なんかもすごく素敵だ。も〜〜〜あんたたち両思いなんだから、もっとシャッキリしなさい!と言いたくなるが、この、これまで自分が世の中的に慣れ親しんできた男性性とは、性質を異にしたナイーブな優しさ全開の2人に、なんだか未来への希望を感じちゃう。・・・・とちょっと壮大な感じの感想になってしまった。
 あと、雇用関係や雇用契約に対する意識がはっきりしているなあ、と思う。さすが、ジョブ型雇用の欧米社会。権利—義務関係を明確にさせようとする意識がここまで恋愛の足を引っ張るって、日本人的な感覚だとあまりないのでは。そういう意味でも、「もだもだしすぎだ!」とうっかり感じてしまうかもしれないが、きっと当人たちにとっては、そして彼等の文化規範の中では、独立した個人として、とても大切なことなのだ。

 以下は余談だが、先日、子育て仲間だった友人と呑みながら話をしていて、なぜかBLの話になり、友人は「BLは女の子の健全な成長に必要なのよ!」(ちょっと細部はうろ覚え)と力説していて、私もなるほどなあ、と思ったのよ。
 男女の恋愛物語を読んだり見たりしたら、女の子は女性側に移入せざるを得ない。“女性らしい”感じ方、“女性らしい”振る舞い、女性としての性的役割を、作品のを通じてすり込まれる。私はそれが苦手で、恋愛小説はあまり読まないのだけど、BLならば、キャラクターのどちらに移入しても可だし、それこそニュートラルに、若干は客観的に、恋愛を疑似体験できる。なにをどう感じるかを(精神的にも、肉体的にも!)強制されることはない。自己を確立する時期の思春期の女の子にとって、BLは成長のための梯子になり得るのかもしれない。

2025年8月16日土曜日

介護日記的な・・・その23 食欲がないはずなのに、まさかの満腹

 これまで週2回だったのが、毎日・毎食になって、何を母に食べさせるか悩ましい。

 母は、しばらく前から、咳が続いていたが、だんだん胸の奥に絡むような咳になってきたため、せっかく日中動くことができるのだし、と昨日内科に連れて行った。気管支炎とか誤嚥性肺炎なんかも心配していたのだが、診察の結果は「上気道炎」つまりのど風邪。それは良かったのだが、体調が落ちているせいか、食が進まず、今日も、朝食も昼食も残されてしまった。

 それに加えて今日は精神科(認知症外来)の受診もあったので、さすがに疲れたのか、午後にかなりしっかりめに昼寝。昼食も遅めだったし、そのあと昼寝ではお腹もすかないだろうと、夕食時間も遅め設定で買い物にでかけたら。
 なんと、私が買い物に出ている間に、冷蔵庫に置いてあったおまんじゅうを3個、食べられてしまった。

 本人は食べたそばから忘れるから、夕食の時には、「なんだかお腹が空いていないのよね・・・」と食欲がないことをアピール。そりゃそうだろう。小さいとはいえあんこの詰まったまんじゅうを3個食べれば血糖値も上がるし、食事は入らんだろうよ。

 夕食が遅くなってはいけない、という教訓を思い出したよ。そうそう。ちょっと買い物に出るのが遅くなると、その間に小腹が空いて、間食されてしまうのだった。以前もやられたのに、すっかり忘れていた。気を付けなければ。
 
食事の用意ったって、この程度よ

2025年8月14日木曜日

介護日記的な・・・その22  とりあえず、近況報告を。

 6月末頃から、母の認知症が進んできたかな、と思い始め、結局それは気のせいではなく、この三年間、超低空飛行とはいえなんとか維持してきた母の独居も、もはやこれまで、と観念した。(私が)
 
 とにかく、きちんとご飯が食べられないのはダメだ。

 母が独りでいるときに口にするのは、木村屋の蒸しケーキやミカンだけになってしまった。そういえばカットパインも食べたかも。・・・・って、全然食事の足しにはならない。

 体重が少し落ちた。

 言葉が拙くなり、聞く力も読む力もガクンと落ちた。確認行動が酷くなって、寝る前の戸締まりや電源の確認が延々終わらないので(確認したそばから忘れるから、エンドレスになってしまう。)入眠に影響がでてきた。
 極めつけは先日の「焦げ臭い」事案。結局原因不明なんだけど、電子レンジの中も焦げ臭かったので、きっとここで何かがお焦げになったんでしょう。ちなみに先日購入したばかりの、オーブン機能などない、単機能レンジ。あたためスタートしかできないやつ。いったい何をどうチンしたら、お焦げになるんだろう。謎だ。

 初めは、もう一回ホームヘルパーの導入にチャレンジして、朝夕の食事の世話をお任せすることができれば、何とかなるのでは、と思ったのだが、一週間一緒にいてみて、そうではないと気付いた。見守りは常に必要。見守るだけだとしてもだ。

 とうとう、母を一人にできない日がやってきたのだ。

 その日が来てしまえば、案外、決断はすんなりつくものだ。というか選択肢がないので、決断というよりは諦念に近い。しかし、この決断を、私は自分の家族にちゃんと相談したろうか、と思うと反省すべきところがあるなあ。

 職場には介護休暇の取得を相談し申請し、そして周囲に協力を仰ぎ(迷惑をかけ、ともいう)、長期の休暇に入ることとなった。期間は「母が施設に入るまで。」

 グループホームは一ヶ月前に申し込みしてある。しかし、まだ待機順は繰り上がっていない模様だ。あと2ヶ月、3ヶ月で入所できるだろうか。
 
 母はデイサービスには通っているので、母がデイに行っている間は、時間があるといえばある。テレワークとの組み合わせも検討できる。しかし、フルタイム稼働は無理。
 デイに送り出すのが9時半。戻ってくるのが17時。その間に、家事や買い物を済ませる必要もある。自分の自宅は別にあるので、そちらにいる家族も完全放置はできない。実家から職場までは2時間弱かかるので、どう工夫しても通勤は無理。それは早々にあきらめた。なにしろ、やったとしても私の体力が続かないのは明らか。夜間に起こされることもあるので、昼寝も必要になりそう。(だが、してみたら夢見が悪くて閉口した。)

 そんなわけで介護休暇に入った訳だが、盲点が一つあった。母がデイサービスに出かけた後の家の中の静けさがもはや暴力的だった。一日目で早々に私のメンタルが参った。

 なにしろあまりにも静かだったのだ。近隣も静かで、集合住宅なのに近所の人の気配が皆無。なんだか世界中に自分しかいないような気がしてきて、「自分はいったい何をしているんだろう?」となんだか存在の根源が揺らぐような気分になって、ずんずん落ち込んだ。これでは早々に鬱になる。

 かなりの危機感を感じたのだが、そんな私の孤独を慰めてくれるアイテムを思い出したので、急遽入手に走った。
 右の写真のデスクオーナーメントは国際ディスプレイ工業の「amaoto」という製品。光発電で台座に仕込まれた電磁石で重りがゆらゆら、そのゆらゆらに台座の中のハンマーが反応して、これも台座の中に仕込まれたベルを叩く。こん、カラン、ろん、ててん、リン、ろらん。
 実はこの製品、新宿のブックファーストの文具売り場に展示されているのを、8年位前から知っていた。ずーーーと、この店舗に行くたびに、心落ちつく音色に耳を傾けていた。
 ただ、絶対に猫との同居は無理だと思ってたんだよね。入手することはないと思っていた。しかし、母宅に猫はいない! まあ、母がちょっかい出す可能性は大いにあるが・・・・

 かなり値も張るし、結構な買い物だったのだが、しかし、効果は絶大。今も、この「雨音」に慰められながら、この文章を書いている。
 ・・・・ついでにいえば、母はいま、夕食の後の台所の片付け中で、ずーっとエンドレスに独り言を言っている。これは、、、なんだっけ? ああやだ、これは・・・こうですよ。そしてぇ、これは。えい。やあ。よいしょ。よいしょ。ええと、これはどこだっけ。どこですか?  そしたら、そしたら〜、ええと、これか。そしたらこれですか。やんなっちゃうなあ、もう。・・・・・ごしごし、がさごそ、がちゃがちゃ・・・・

 母は、食事の支度はできないけど、食器洗いは辛うじてできる。片付け魔なので、台所の始末もする。(食器は洗い直しが必要な場合が多い。)実況中継的に、ひたすら独り言を言いながら。とにかく、一見とてもキレイに片付けるが、片付け方はめちゃくちゃなので、母が寝てから、全部戸棚を開いて、場所を直すのだけど。でも出来ることはできるだけやらせたいので、母にやってもらっている。
 これすら、最近は食後にやらない時も増えてきた。母が自力で動いているうちが花だよなあ・・・と、寝たきり介護や、下の世話なども想像して、ちょっと遠い目になる。

 あと、おなじ団地内で、同じく実母さんの介護をしている友人と宅飲みした。介護情報の交換は建前で、とにかく話して、飲んで、ストレス発散。これ大事よ?

 左の青いラベルのスパークリングワインは、友人が持ってきてくれたヤツ。花火のラベルが素敵なカヴァ。右は私が自宅から持参したなんと厚岸ウイスキー〈花ぐわし〉。夫が頂いたものを、有り難く頂戴した。
 まあ、介護を大変がっても鬱になるので、今できる楽しいことを探そう。そうしよう。

2025年8月13日水曜日

0562 コーンウォールに死す(ハーパーBOOKS)

書 名 「コーンウォールに死す」
原 題 「A DEATH IN CORNWALL」2024年
著 者 ダニエル・シルヴァ
翻訳者 山本 やよい
出 版 ハーパーコリンズ・ジャパン 2025年6月
文 庫 600ページ
初 読 2025年8月12日
ISBN-10 4596572216
ISBN-13 978-4596572219
読書メーター 
https://bookmeter.com/reviews/129618910 

 パレスチナの惨状で、この作品に対していささかの幻滅が伴っていないといったら嘘になる。
 ダニエル・シルヴァも、絶妙なタイミングでガブリエルを引退させたもんだ、と皮肉っぽくなったりもする。
 でも、ガブリエルが魅力的なことには変わりない。
 前作よりも大人しめで、スキャンダルも陰謀も、最近のこのシリーズからしたら、小ぶりではある。だが毎作、ワロージャと戦争するわけにもいくまいよ。それに(何回も書くが)ガブリエルはもはや70台半ばである。これも何回も書いてるが、ボッシュと同い年だからね。
 それにしては、ガブリエルは異様なくらいに頑健である。今回も殴り倒されてボコボコにされてるが、骨折の一つもせずに、ちゃんと生還。まあ、ジャンプヒーロー並みの生命力だよな。(笑)

 そんなこのシリーズも、今作で24作目。ガブリエルは73歳。双子達は8歳。
 娘のアイリーンは環境問題に敏感で、グレダちゃんみたいになりつつある。
 息子でガブリエルに激似のラファエルは、その才能を美術ではなく、数学方面に発揮しており、ガブリエルはラファエルに絵に興味を持ってもらいたいとの切望を隠しもしていない。
 今回は、前作でガブリエルが修復したゴッホが、イギリスのコートールド美術館でお披露目されるあたりからスタート。ガブリエルの携帯に、コーンウォールに住む旧知の人物からの連絡が入る。・・・・・改めて、振り出しに戻って考えれば、正直いって地元の(ローカルな)殺人事件にすぎないことで、ピール青年(元少年)がガブリエルに連絡を入れることが、一番あり得ないんじゃないか、と思わないでもない。この点が今作一番の無理筋。それ以降は、いつも通りのガブリエルである。

 殺されたのは、女性の美術史家。連続殺人の犠牲者に見せかけた殺人の背景に浮かび上がったのが、かつてユダヤ人が所有していたピカソ作の女性の肖像画。その来歴は、ナチス占領下のフランスで起こったユダヤ人の災禍で所有者から違法に詐取されたもの。この絵を発見した良心的な美術史家が惨殺されたことで、ガブリエルが調査に乗り出す。

 巨額絵画を隠れみのにした資金洗浄と絵画のブラックマーケットは、このシリーズで繰り返しテーマになっているもの。おなじみのガブリエルの模造絵画の作成風景も、今作はあっさり目ながら、読者の楽しみの一つ。話はどんどん流転して、結局英国の首相候補の野心とその妻の欲望に帰結し、犯罪行為に犯罪行為で対抗する手段ゆえに、あちこち結果オーライで、犯罪者は真っ当な法の裁きによることなく、社会的リンチの餌食になった。

 まあ、一時ほどの盛り上がりはないにせよ、ガブリエル・アロンのファンとしては、彼がとりあえず元気でいてくれれば、と思う。ガブリエルが不幸になる姿は絶対に見たくない。 もはや、彼の年齢的にも、シリーズ的にも、毎作がボーナストラックみたいなもんなので、今作もその点では十分に満足に値する。・・・・・ていうか、面白かったよ! ちょっと冗長かな、と思わないでもないけど、全部が全部、ガブリエルで満ちてるから、それだけで読む価値アリでした。
 ガブリエルがコーンウォールに三度目の拠点をもつことになったのも良し。地元住民から愛されているのも良し。
 以前のガンワロー岬のヴィラは、惨劇の舞台になっちゃってたからね。

 巻末の著者ノートは必読。ダニエル・シルヴァが作品を通じて言いたいことは、ここに凝縮している。世界の富の不均衡。貧しいものはより貧しく、富めるものは、いっそう富を集積。その金はどこにあって、何をしているのか。世界はどこに向かっているのか。
 世界の歪んで濁った姿がガブリエルを通じてプリズムを通った光のように分光し、人々の目により分かり安く提示されているように感じる。

2025年8月6日水曜日

介護日記的な・・・その21 こげくさい。

 本日から、実質的な介護同居スタート。
 まあ、いつかこの日が来るとおもっていたし、実際、穏やかな始まりといって差し支えない。もっと、劇的に大変になる可能性もあった。とはいえ。

 昨日夜(母が寝た後)に母宅にやって来た。
 玄関を入ったとたんに、異臭に気付く。・・・・焦げ臭い。

 ひとまず荷物を置いてから、お焦げの匂いのみなもとを探す。
 まあ、何かを焦がしたんだろうよ。
 そして、きっと、一生懸命原状復帰した。だから、お焦げは影も形もない。匂いとしては、プラスチックやビニール系のイヤな臭いではない。むしろ、紙とか木とか、炭水化物やタンパク質。つまり食べ物だと思われる。
 まあ、電子レンジだろうな。なにかを加熱しすぎて焦がしたか、まさか、ガスでお湯を沸かすときにガスコンロ周りのなにかを燃やしたか?

 だけど、影も形もない。

 ごみ箱の中も確認。ひょっとして燃えかすとか、黒焦げたなにかとか。

 だけど、それらしきものはなく、匂いもしない。

 辛うじて、電子レンジの中は焦げ臭いような。だけど、内部のスス汚れとか、焼損といったものは見当たらず。

 結局は謎なんだけど、依然として、室内のそこはかとないお焦げ臭が、きっとなにかあったはずなのを告げている。

 ・・・・・まあ、つまりは、同居見守りに踏み切ったのは、決して早すぎではなかったということだ。精神科の先生には、そのうち電子レンジで発泡スチロール燃やすようになるから、独居は限界あるよ、とは言われていた。
 正直、発泡スチロールを発火させなかっただけで有り難い。(もっとも、うちの母は、食品トレーのまま食べ物を温める、とか、カップ麺を食べる、という食習慣自体がないので、発泡スチロール製品をレンジに入れる、というシーンはあまりないかもしれない。)

 なにしろ、集合住宅。他家に迷惑がかかる可能性はあってはならない。ボヤなんてもってのほか。こうなると、たまに自分の自宅に掃除やら様子見に一泊程度で帰ろうと思っていたことのほうが、難しくなるかもしれない。それはそれで、困るんだよなあ・・・・と、初日から悩ましい。

2025年8月3日日曜日

2025年7月の読書メーター

 ル=グウィンの『幻影の都市』読了が8月に少し入っちゃったけど、7月読了本があまりにも寂しかったのでちょっとズルして7月31日で読了登録した。6月後半からず〜〜〜〜〜っと読んでいたので良いよね!ということに。 
 ここしばらくル=グウィンを読んできたがここにきて息切れ。
 SFが面白くない(T-T)のだよ。なぜだ! ル=グウィンほどの大御所で、それこそ大御所のファンが沢山いる作家だと、「面白くない」というのもなんだかヘンな勇気が要る。
 うまく言えないのだが、ル=グウィンの作品て、アンドリュー・ワイエスの作品に似ていると思う。私はキリスト教的な厳格さとかは門外漢でよく判らないのだけど、文化的な桎梏というか、苦しさを感じてしまう。たぶん、ル=グウィンが抱えていたジェンダーとも繋がるものなのだと思う。
 と、同時に、最近は読みやすく、感情移入しやすい分かり安い本を好んで読んでいるな、とも思う。自分を甘やかしているせいか、ちょっとむずかしい本を読む努力が出来なくなってきているような。

 母の介護は、新たな局面に入った。
 自分でご飯を食べられないように(ADL的に食べられないのではなく、適切な食べ物を選んで食べることが出来なくなった。つまり、蒸しパンやお菓子やミカンしか食べなくなってしまった。)なったため、朝夕の食事の世話が必要に。それ以外は概ね自立しているので、そばに居てもあまりすることが無かったりするのだけど、なにかと見守りは必要。なにより、本人も不安だと思われる。そんなこんなで、しばらく介護休業を取ることに。これまで全力疾走してきた十数年(?)いやそれ以上。しばしのアイドリングで、自分の人生そのものも見直したいと思う今日この頃。・・・とはいえ、仕事を休んだ途端にガタッと落ちそうな気がしていてヤバい。

7月の読書メーター
読んだ本の数:8
読んだページ数:1148
ナイス数:390

幻影の都市 (ハヤカワ文庫SF)幻影の都市 (ハヤカワ文庫SF)の感想
びっくりするほど楽しく読めなくて残念至極。ここまで読んだル・グウィンのSF、みな色調が似ているというか、人物が似てるというか、構成も物語の主要部分がグレートジャーニーというか。雄大な風景の描写は素晴らしいのだけど、それ、この話に必要?って感じちゃう。敵のシングが前半、中盤、後半で印象ががらりと変わるのとか、主人公が突然心理戦で優位に立つとか、面白い要素はたくさんあるのだけど、総体的にはつまらなかったな。ずっとル・グウィンを読み進めてきたけど、これ以上読める気がしないので、中断を自分に許すことにする。
読了日:07月31日 著者:アーシュラ K ル グィン

幻影の都市 (1981年) (サンリオSF文庫)幻影の都市 (1981年) (サンリオSF文庫)の感想
感想はハヤカワ版の方に
読了日:07月31日 著者:アーシュラ・K.ル=グイン





はなれがたいけものはなれがたいけものの感想
読み友サンのレビューが流れてきて、ちょっと気になったのでAmazonで試し読みからのダウンロード。それなりに面白かった。「愛を知らない」主人公は、自分の行為を「愛」ゆえとは認知しない。これほどの愛情と献身を我が子に注ぎながら、自分は愛してなどいない、なぜなら愛を知らないから、と頑なで。現在全6冊出ているとのことだけど、とりあえず1巻で満足。ル=グウィンの『幻影の都市』が大ストッパーになっているので、他の本が読めると安心する。
読了日:07月27日 著者:八十庭 たづ

チェーザレ 破壊の創造者 特別編 二人の巨匠チェーザレ 破壊の創造者 特別編 二人の巨匠の感想
ミケとダ・ヴィンチ。そして総領冬実の筆による、幻のアンギアーリの戦いの絵,そして成年になったチェーザレの肖像。ごく薄い本なのだが、胸がいっぱいになる。
読了日:07月26日 著者:惣領冬実







手ぬいで着物リメイク ゆったり心地よい服 (レディブティックシリーズno.8188)手ぬいで着物リメイク ゆったり心地よい服 (レディブティックシリーズno.8188)の感想
Kindleアンリミで内容を確認し、作りたいのがあったので、紙本で入手。手縫い本だけど、実際作るとなったらミシンだな。だけど、そもそも着物って手縫いなのよね。和裁ができる人ならあっという間に縫えるんだろうなあ。(私はそもそも真っ直ぐな縫い目にならない(^^ゞ  この本は、いくつか気に入ったワンピースとジャンパースカートのデザインがあったので、ぜひ、時間ができたら制作したいと思っている。いつ・・・・・になるかは、想定不能。(遠い目)
読了日:07月08日 著者:高橋 恵美子

着物のリメイクを愉しむ 製図集 (レディブティックシリーズno.8543)着物のリメイクを愉しむ 製図集 (レディブティックシリーズno.8543)の感想
Kindleアンリミ。製図がたくさん掲載されているのが嬉しい。だが、気に入ったデザインは僅少(これは、どのリメイク本も同じなんだけど)。Kindleだと製図は難しいので、いざ本当に作りたくなったら、紙本を求めようと思う。
読了日:07月08日 


軍人婿さんと大根嫁さん 6 (芳文社コミックス/FUZコミックス)軍人婿さんと大根嫁さん 6 (芳文社コミックス/FUZコミックス)の感想
7月一冊目。本日発売。花ちゃんがすこし、人妻なお顔になった。カヨコさんの三角ご夫妻の馴れ初め。カヨコさんは、はっちゃけてるだけのオンナじゃなかった!あのカヨコさんの心を手中にした三角中尉はやはりスゴイと思ったのだった。
読了日:07月02日 著者:コマkoma

読書メーター

2025年7月31日木曜日

0561 幻影の都市(ハヤカワSF文庫版)

書 名 「幻影の都市」
原 題 「CITY OF ILLUSIONS」1967年
著 者 アーシュラ・K・ル=グウィン    
翻訳者 山田 和子    
出 版 早川書房 1990年4月
文 庫 313ページ
初 読 2025年7月31日
ISBN-10 4150108668
ISBN-13 978-4150108663
読書メーター  

  表紙の絵が怖いのだ。白目に見えるんだよね。実際には、猫目の光彩が描き込んであって、金色の目なんだけど、小さな画像になると、金色の濃淡でうっすらと描かれた光彩が見えないのだ。
 あと、なんだかねえ。訳者後書きが死ぬほどつまらない。貴方様のSF論を読みたいわけではないのだ。観念的で、なにか意味のあることが語られてるのかを理解できないのは、私の頭が悪いからなんだろうか? なんというか、70年代の匂いが紛紛とする。「主義」とか「思想」とかの匂いがしてくる。(出版されたのは90年なんだけどね。)まあ、自分自身も文章で語ってしまったりしがちなので、あまり人のことを批判できないとは思うのだけど、ただ訳すだけじゃダメだったのか? 似たようなことは、ル=グウィン自身にも思ったりはする。ただ、書くだけじゃダメだったのか?と。作家なんだから、作品で語ればいいじゃないか。なぜ、解説したがるんだ。 ましてや、翻訳者の思い込みの強い蘊蓄なんて、本当にいらんわ。翻訳の苦労話ならいくらでも読めるのだけど。
 
 まあ、それはさておき。

 ル=グウィンは、どの作品でも主人公が大陸や原生林の中を旅をする。大いなるワンパタなんだ、と思い始めた。ゲドも旅をしたし、これまで読んだ本、『辺境の惑星』を除いて、とりあえず主人公が孤独な旅をする。作品一つ一つの完成度は高いのだと思うのだが、まとめて読んで食傷した。主人公は男にせよ、女にせよ、いつも淡々としている。とても抑制が効いている。大きく乱れない。とてもストイック。なんとなく息苦しい。
 主人公が旅の中で出会う、刻々と様相を変えていく空や、森林、壮大な大自然の描写は素晴らしいと思うのだ。多分・・・・たぶん、単品で読んだほうがいいのだ。たとえ、ハイニッシュ・ユニバースのシリーズであっても。

 このシリーズの中では、どの惑星も「地球」と呼ばれ、どの星の話なのかは読み進めるまでは判らない。時代の前後関係も、しかとは語られない。この作品は、どこか深宇宙の惑星の話か、と思ってよんでいたら、実は文明が衰退した後の地球、しかも北アメリカ大陸の話だった。科学文明が隆興し、宇宙に植民し、星間戦争ののち、衰退する。人々は、残された文明の残滓に縋りながら、近代以前に後退した文化の中で生活している。
 なお、読んでいて、『辺境の惑星』に直接繋がる話なのだと判明する。『辺境の惑星』がその後、どのように発展したのか、様子がわかって感慨深い。このあたりの文化や文明のヴァリエーションの付け方は、さすがだな、と思う。
 その一方で、舞台となる惑星は違えど、似たようなシチュエーションが展開することに飽きてきてしまって、読み進めるのがついに苦痛になってしまった。
 前半はグレートジャーニー、後半は『敵』との心理戦。敵であるシングのイメージが前半、中盤、後半でがらりと変わってくるのは面白いとは思ったのだよな。だけどそこまで。前半の旅が冗長だったので、後半の心理戦に重点を置いていたら、また印象が違ったかもしれない。

2025年7月27日日曜日

介護日記的な・・・その20 部屋の片付け、テレワーク準備、仕事の片付け・・・・が出来るのか!?

 さて。不要品処分のその後である。
 土曜日に、地域の行政サービスで粗大ゴミ出しの予約をしてあったのは前述のとおり。
 結局、壊れた電子レンジ(けっこうデカい)、そこそこのサイズの手作り本棚(昔、手塚治虫全集300冊を納めていた。)、インクジェットプリンター2台、壊れた昭和の扇風機、大型ガラス水槽、AVラック、扉のはずれたテレビ台・・・・を排出。
 母に見とがめられると多分トラブルになるので、深夜、母が寝ている間に、そーっと搬出。母は寝付きが良く、寝ると朝まで起きないことがほとんどなのだが、それにしても(やったことないけど)空き巣に入ったくらいには慎重に、静かに、あくまでも静かに、物置と化している部屋から運び出した。・・・・私一人で。

 結果、ゴミ出しには成功し、翌朝、粗大ゴミはこれまた静かに回収されていった。

 怖れていた母の反応といえば、物置部屋の室内の変化には気付かず。

 以前なら、あら、お前片付けした?くらいの反応はあったと思うのだが、これだけの変化をスルーしちゃうくらいには、認知症が悪化しているのを再確認した。

 そして、同日午前、メルカリで購入した中古の(アンティーク、とも言えるか。)仕事机が届いたので、こちらは私が今使っている寝室兼タンス部屋に搬入。
 別途自宅からクロネコさんに運んでもらっていた23インチのモニターやデスクライトを配置して、在宅ワークが可能な体制を作った。(Wi-Fiの受信状況が極めて悪く、まだテレワーク可能な状態までには至っていない。)

 さて、こちらの変化については、母の反応は、
 1回目(搬入中)「これ、どうしたの?」→「私が運送頼んで自分の家から持ってきてもらったのよ。ここで仕事できるように」
 2回目(設置後)「これ、お前がもって来たの?」→「そうだよ〜。前に、相談したら、『部屋空いてるから、好きにして良いわよ〜』って言ってくれたよ?忘れた?」(これは事実だ)→「忘れたけど、そう言いそうダワね」
 3回目(午後) 「これ、前からウチにあったかしら?」→「(メンドクサイから)あったよ〜」
 4回目(同日午後)「これ、前からこの辺に置いてあったわよね?」→「そうだよ〜」

 結果、机は以前から家にあったこととなり、中古でそこそこ使用感があったことも幸いし、すでにもう20年も家に置いてあったんでは?くらいの馴染みっぷりで、寝室の一角にとっても昭和レトロな空間が完成した。母に受け入れてもらえて良かった。置いた机が、私の想像以上に和室に馴染んで良い雰囲気になったもので、母も気に入ったらしく、これ良いわね〜、と何故か部屋に居座るようになったのはご愛敬。

 物置部屋に置いてあったプリント化粧合板製の本棚を脇に設置し、こちらも自宅から宅急便で運んでもらった、ボッシュシリーズその他の、読みたい本を並べた。ついでに、あの分厚くて重たい筑摩世界文学全集を読むための書見台も持ち込み。

 母の介護にかこつけて、テレワーク準備と言い訳しながら、かねてから欲しかった読書机を買っちゃった背徳感を感じつつ、前日からの、もっといえばその2週間前からのオーバーワークで疲労困憊し、頭痛が治まらない日曜日の夜・・・・。これ、過労で脳血管がぷつっといかないように、ホント注意しないと。

 あとは、8月2週から、無事に介護休暇に入れるのか、(事前相談はしているものの)介護休暇の正式な申請、引継書の作成、母のショートステイのお試し決行、新たなケアマネさんとの契約、ケアプランの見直し、一度は断念したホームヘルパーの再導入を試みるかどうか、現在待機している認知症高齢者グループホーム以外に、もっと良い選択枝は無いのか相談してみること。やることは今だ山積している。
 母は、食事の準備ができないことを除けば、穏やかに落ち着いているし、そこそこ会話でのコミュニケーションも出来るし、週末一緒にすごしていると、施設入所、という選択に迷いが生じる瞬間がある。だけど、一人でご飯は食べれないんだよな〜。やはり独居は限界。これ以上母が体力を落とす前に、やはりなんとかしないといけないのだ。

2025年7月23日水曜日

介護日記的な・・・その19 不要品処分


 直前の書込みで、母は冷蔵庫のポカリを飲めるのか、との疑念を書いたが。
 なんと、飲めたようだ。飲み途中だったペットボトルが一本空いている。やれ、よかった。ポカリのボトルは飲み物として認知されたらしい。とはいえ、脱水状態が改善するほど、きちんと飲めている訳ではない。 

 母宅の電子レンジが壊れた話は、以前にした。
 で、新しい電子レンジを購入したので、古いのは処分しなければならない。

 母宅の、昔私の子供部屋だった部屋は、現在書庫兼納戸・・・というかただの物置になっていて、いろいろと不要品が置いてある。まあ、この部屋があるから、母の生活スペースは片付いている、といえなくもない。

 電子レンジを粗大ゴミに出すにあたって、ついでにこの部屋の不要物と、トランクルームにおいてある不要品も出すことにした。

 電子レンジ、文庫本用の本棚、テレビ台、大昔に父が手作りしたレコードラック兼テレビ台、プリンター2台、壊れた扇風機、大型ガラス水槽など・・・・

 問題は、母に気付かれずに家から搬出することだな。決行は土曜日未明。母が寝ている間に。静かに。あくまでも静かに。

 母は、無くなってしまえば多分忘れてくれる。

 しかし、処分するところを見られると、私のモノを勝手に!と怒るかもしれない。

 そう、母は片付け魔だが、私もそうなのだ。しかも、母は取っておく性向が強いが、私は捨てたがりなのだ。

 毎回、母宅にいって、あーーー、これ捨てたいな、と思うのをガマンするのも結構ストレスで。すこしづつ、いろんな不要品を捨てている。さすがに3年ともなると、いろいろと少しずつ、物置化した部屋の中が片付いてきて、私は嬉しい。今回の粗大ゴミ出しで、だいぶすっきりする予定だ。
 その上で、私の仕事机を搬入の予定。上手くいきますように。

2025年7月21日月曜日

介護日記的な・・・その18 介護とワクワク?

 もうだいぶ前のことになるが、リビングのごみ箱・・・紙くず入れに、大量の固まったトイレットペーパー・・・・なにかに使って、円筒型状のものに詰め込んだあと、引っ張り出して捨ててた・・・・ような半分ほぐれかけたトイレットペーパー屑、を発見して、一体これはなんだろう、と首をかしげたことがあった。で、一昨日その答えが明白になった。

 トイレに置いてある円筒型のサニタリーボックスの中を何の気なしに改めたところ、ぎっしり。何かに使用済みのトイレットペーパーが出て来たのだ。まさにコレ。

 ————あ————つまりだ。
 母は、たぶん、もうだいぶ前から、使用済みトイレットペーパーをトイレに流していなかったのだ。全部、サニタリーボックスに「捨てて」いた。そしてそれが一杯になったので、リビングのごみ箱に空けた、と。

 ネットにお伺いしてみると、認知症あるあるらしい。

 多分、昭和の頃の脆弱な給排水衛生設備で育った世代は、「詰まらせてはいけない」と思うんだろう。

 なんにせよ、謎がほどけて、困惑が残った。
 こうやって、ひそかに「ヘン」なところはじつは沢山あるんだろうな〜。

 母は、もう短期記憶が1分くらいしか保たなくなっている。言葉の理解も覚束なくなってきた。
 それでも大崩れしない、確固とした生活習慣が身についているっていうのは、それはそれで凄いことだと思う。でもこんな感じでいろいろと綻びが目立ってきた。

 ここ1ヶ月くらいは、自分でご飯を食べるのが難しくなった。咀嚼も嚥下もできるが、冷蔵庫からご飯はともかく、おかずを取り出して食べる、ということができなくなった。冷蔵庫にいれてあるお惣菜を手にとっても、しばし眺めたあと、また冷蔵庫に戻してしまう。
 小鉢にいれて、「食べてください」と付箋を貼って、冷蔵庫に入れておいたが、母は、「いつからここにあるのかしら」「古くなってるし気持ちわるい」とかいって、捨ててしまったりする。

 結果、先週末の受診では、顔色の悪さと脱水気味を指摘され、「糖尿病がなければ、ポカリ飲ませて」との指示を頂いた。
 500mlのペットボトルを2本買って帰って、とりあえずコップ一杯は飲ませたが、冷蔵庫に入っているものを本人が自分で飲む可能性は皆無に近い。

 人の手が入らなければもう、生活の維持は無理だろう。

 8月から介護休暇を取るか、ひとまずテレワークと出勤と介護休暇を織り交ぜるか。
 
 自分の自宅のこともあるから、母の家に行きっぱなしもできない。特養のショートステイも入れて、その間は自宅に戻るにしても・・・・ううむ。

 ひとまずこの際なので、母の家に私の机を入れてモニターも設置し、テレワークができる体制は作ることにした。(お願いだから、いじらないで壊さないで、コード抜かないで、と願う。)

 で・・・・冒頭のタイトルである。

 事態はそれなりに深刻で、私は家庭生活上も、職業生活上も大幅な変更を余儀なくされているのだが、なんだか、単純にワクワクしていたりもする。なんなら、隙間時間にどの本を読もう、なんて本の選定まで始めている。とにかく、10年以上・・・・ずーーーと、それはそれは多忙な職場を渡りあるき、残業上等、なんなら午前様も当たり前な生活を続けてきた。ここに至って、ある意味、母のために止むなく、ではあるにせよ、「仕事を減らす」事態に心の半分くらいがなんだか歓喜しているみたいな気がするのだ。
 残りの半分は、手離さざるを得ない仕事への気がかりとか、仕事を休んでしまって果たして私は復帰できるのか、という不安や、これでもし、戻れずに離職してしまったら自分の老後は果たして成り立つのか、とか、母の介護そのものへの不安とか、母への献身(?)に、自分の欲求を織り交ぜることへの罪悪感とか・・・・(たとえば、母宅で在宅ワークするため、というのを口実に、ずーーーーっと欲しかったデスクを購入しちゃう、とか(爆)
 重くて引きずり歩くのが億劫な掃除機の代わりに、自分の自宅でも使っているスティック型の軽快な掃除機をAmazonでポチる、とか。

 でもまあ、介護は、生活だ。
 滅私奉公である必要はないんじゃないかな。大変なだけでなく楽しいこともあったほうが良いし、私の精神衛生が良いほうが、絶対に母にも良いはずだ。買い物一つでワクワクできるんならそれはそれで・・・・

 そんなわけで、介護生活の新たな局面に、きっと大変なこともあるだろう、という理性の声を頭の隅に掃き寄せて、なんだかワクワクが止まらなくもある。