2021年1月11日月曜日

0248 亡者のゲーム (ハーパーBOOKS)

書 名 「亡者のゲーム」 
原 題 「THE HEIST」2014年 
著 者 ダニエル・シルヴァ 
翻訳者 山本 やよい 
出 版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2015年7月 
初 読 2021年1月13日 
文 庫 584ページ 
ISBN-10 4596550018 
ISBN-13 978-4596550019

 論創社から出版されていた『美術修復師ガブリエル・アロンシリーズ』の続刊にあたる。ただし、5作目から13作目までは翻訳されておらず、本邦未刊。

 イスラエルの諜報機関といえば、言わずと知れた“モサド”であるが、この作品の中では公称はなく、所属する人間からは単に〈オフィス〉と呼ばれている。
 主人公は美術修復師を表向きの職業、というか本職としているガブリエル・アロン。ドイツ系ユダヤ人の家系に属し、著名な画家だった母方の祖父をはじめ、一族がアウシュビッツで殺されている。イスラエルの美術学校で画家として才能を磨いていた青年時代、その才能とドイツ語に堪能であることを買われ、ドイツに潜入する工作員としてスカウトされて、テロリストの抹殺に暗躍する暗殺者となる。
 紆余曲折があり、組織からは一時離れていた時期もあったが、現在は〈オフィス〉の次期長官として内定しており、残るわずかな日々を妊娠中の妻とベネツィアで、教会の祭壇画の修復の仕事を請けおいながら穏やかに過ごしていた。ちなみにスカウトされたのが1972年のミュンヘンオリンピック事件※直後で、シリーズ第2作『イングリッシュアサシン』(2002年)時点でガブリエルは50歳との記述があり、この作品『亡者のゲーム』には爆弾テロで殺された息子が生きていれば25歳、との記述。たぶんこの時点ではアロンは60歳前後のはずだが、読んでいると、台詞回しもフットワークも非常に若々しい。しかし、〈オフィス〉の次期長官であるからには、すでに老練といっても良い域に入っているスパイと考えるべきなんだろうな。

ミュンヘンオリンピック事件(または「黒い九月事件」)とそれに対するイスラエルの報復「神の怒り作戦」。アロンはこの報復作戦の実行メンバーだった、という設定で、「黒い九月事件」の実行犯12人のうち6人を直接殺害した、とされている。実行に当たっては「黒い九月事件」で殺されたイスラエル代表オリンピック選手とコーチ11名のための報復として、一人殺す度に11発の弾丸を撃ち込んでいた、という。この任務を完了したのち、あらためて画家としてのキャリアに立ち戻ろうとしたが、その頃には絵をかける精神状態ではなくなっていた。そこで、絵画修復の道に入った、というのがこの話の前景。 

 「美術修復師」と「秘密工作員/暗殺者」をどのように融合させるのだろうと、読むまで不思議だったが難なく一つの人格にまとまっている。殺伐とした諜報の世界に生きるガブリエル・アロンにとって、絵画修復は自己の精神の修復にもかかわる作業で、この両輪が回ってこそ、イスラエル諜報機関の凄腕工作員として、強靱な精神力を発揮することができるのだろう。
 しかし、表稼業も裏稼業もその道では隠れようもないガブリエルが、いくら慎重に行動しているとはいえ、殺されずにその両方を全うしているというのは、不思議ではあるな。

パオロ・ヴェロネーゼ『栄光の聖母子と聖人たち』
サン・セバスティアーノ教会 祭壇画420 x 230 cm
 冒頭に、ガブリエルが取り組んでいるサン・セバスティアーノ教会の祭壇画についての記述があるが、すっごい誤植(?)発見。(P25) パオロ・ヴェロネーゼが教会の壁画を描いたのは1956年ではないだろうよ。私が読んでいるのは古本で手に入れた第一刷だが、二刷以降は修正されているのだろうか?びっくりだ。ちなみに、その絵がこれ。→

この美しく色鮮やかに修復されたフレスコ画が、イスラエル最強の暗殺者ガブリエル・アロンの手になるものだなんて、と思わず人知れずムフフ、となっている観光客がいるのだろうか?

サン・セバスティアーノ教会


















祭壇全景
これらはホンのプロローグ部分なのだが、なにしろ私のようにハーパーブックスで初めでシリーズに触れるような人間には、主人公ガブリエル・アロンの精神性を知る上で良い情報だ。

 と、いうのも、翻訳小説の例にもれず、このシリーズも最初4冊が論創社から刊行され、うち2冊はすでに絶版。Amazonマケプレでは高値の花と化し、5作目から13作目までは未訳。この「亡者のゲーム」はなんと14作目だ。これ以降はいまのところ、順調にハーパーブックスから刊行されている。このままハーパーブックスさんにはがんばってほしい。とにかく、売れない、とか翻訳権の問題とかいろいろあるのだろうが、翻訳小説を巡る状況は、作品にとっても、読者にとってもきわめて残念な状況なのだ。やはり英語を勉強しなおして、自力で原著を読むしかないのか? だけど私は翻訳を読むのが好きなんだよ。原著を読むのと同じくらい、「翻訳者」の仕事を読むのが好きなのだ。

 さて、脱線はここまで、として。
 サン・セバスティアーノ教会で修復作業にかかっているガブリエルに、カラビニエリの美術班の指揮官フェラーリ将軍から「裏仕事」方面の依頼が入る。むろん、ガブリエルの素性を知ってのことだ。引退してイタリアで美術関連の事業をしているイギリス元外交官の殺害事件の調査である。これに巻き込まれたのが〈オフィス〉の協力者であり、ガブリエルの旧友でもあるイギリス人美術商であるからには、断ることもできない。そして、この惨殺された英国人を追うと程なく、この男が世界でもっとも有名な盗難絵画の一つであるカラヴァッジョ『キリストの生誕』の盗品取引を手がけていた噂がある、という情報を得る。
《キリストの降誕》
 物語前半は、大がかりな盗難絵画詐欺、そして後半は〈オフィス〉の作戦になるシリア独裁者の隠し資産を追うこれまた大がかりな金融詐欺のような諜報戦となる。この前後の作品のことはまだ知らないが、これまでの作品で登場したかつての敵は今の友、的な顔見せ、オールスター出演で、必殺仕事人のよう? エンタメ色満載でサービス過剰なくらいであるが、思いのほか派手なドンパチにはならない。
 かつて、ヨーロッパから中東にかけて血の雨をふらせ、各国の諜報機関からも危険人物とマークされている暗殺者が、ついに組織のトップに上り、自分で大規模作戦の指揮をとるに及んで、一国の独裁者を破滅させるような罠を張り巡らしながら、一人の女性を救うために、それをあっさり放棄する。
 他の作品をまだ読んでいないから、あえていい加減なことを書くが、シリーズの中で、大天使ガブリエルの時代の幕開けともいえる転換点の作品なのかも、と感じた。
 右は、この本の隠れた主役? 盗難により失われたカラヴァッジョの「キリストの降誕」
 現実にはこの絵はいまだ発見されていない。

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