ガブリエルは部屋の入り口に立ち、片方の肩をドアの枠にもたせかけて、壁面にゆっくりと視線を走らせた。どの壁にも絵がかかっている。ガブリエルの祖父の作品が三点。その三点だけがようやく見つかったのだ。それから母親の作品が数点。また、若い男性を描いた肖像画の大作もある。こめかみに早々と白髪が交じり、疲労のにじむやつれた顔に死の影がつきまとっている。・・・・・・子供たちがいつの日か、この肖像画に描かれている苦悩を湛えた若い男性のことを、そして絵を描いた女性のことを尋ねるだろう。
子供たちは自分を憐れむだろうか。怖がるだろうか。怪物、殺人鬼だと思うだろうか。・・・・・この絵は本当の父さんじゃない————子供たちにはそう答えることにしよう。こういう人間にならざるをえなかったんだ。父さんは怪物でも殺人鬼でもない。おまえたちがこの場所で暮らせるのも、今夜、この国で平和に眠っていられるのも、父さんみたいな人々がいるおかげなんだ。
再び父親となった感慨からか、若い工作員を育てているからか、この巻ではガブリエルの記憶が語られるシーンが多い。そしてそのどれもが苦い。
ISISへ潜入させる工作員としてガブリエルがスカウトしたフランス系ユダヤ人のナタリーに、自分の少年時代を語るシーンがある。(父については、どこかでアウシュビッツの生還者だと読んだ気がしていたが、ここでは違う説明になっている。)父に対して思慕が感じられないのはなぜだろう。一方、母についての思い出も心温まるものではない。ガブリエルの口から、アウシュビッツでの体験からイスラエル移住後も心の平穏を得ることができなかった母の思い出が語られる。母はほとんど笑うことがなかった。気持ちの浮き沈みが激しく、鬱を繰り返していた。一度だけガブリエルが母に戦争の時のことを尋ねたら早口で曖昧な言葉でアウシュビッツ時代の事を話したが、そのあと何日も寝込んで重度の鬱状態になった。それ以降、家で二度と戦時中の話はしなかった。「悪魔を起こさないよう、母の前では静かにしていなくてはならないことを、わたしは子供のころに学んでいた。 」自分もおのずと内向的で孤独な人間になった。。。。。等々
これまで、イスラエルという国家をどう捉えるべきか、考えあぐねていたが、そして今でもこの地域の混沌をどのように見るべきか、迷いつつ読んでいたりするのだけど、ホロコーストを経験したユダヤ人が、自分たちを自分たちで守ることができる民族国家、主権国家をどれほど切望しただろうか、ということは、日本にいる限り絶対に理解がおいつかないだろうと思う。国や家族を守る為には殺人も行う、やられれば復讐する、というガブリエルの切実かつ強烈な意志に圧倒される。かつてイギリスの三枚舌外交に翻弄され、今はアメリカに翻弄されているとしか見えない民族と土地と聖地に、これ以上の血と混乱がもたらされないようにするにはどうしたらよいのだろう。
さて、私は人物を読むのが好きなので、ついガブリエルの心情に目がいってしまうのだが、作品自体は立派なエスピオナージ物なので、ちゃんと諜報戦をやっている。
上巻は、自身で“ブラック・ウィドウ(黒衣の未亡人)=テロリストに仕立て上げられた、異教徒との戦いで愛する恋人や夫を失った敬虔なイスラム女性”となる潜入工作員に育て上げる訓練過程と、遂にISISの本拠地ラッカにナタリー=ライラが入り込むところまで。そして、ガブリエルは合衆国へ向かう。
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