2022年5月31日火曜日

0350 朝日のあたる家 Ⅱ(角川ルビー文庫)

書   名 「朝日のあたる家 Ⅱ」
著   者 栗本 薫    
出   版 角川書店   1988年10月(単行本初版)/200210月(文庫初版)
文   庫 340ページ
初   読 2022年5月31日
ISBN-10 4044124205
ISBN-13 978-4044124205

 相変わらず気だるい透ちゃんであける第二巻。
 今日はなんとなく、生きやすい感じ♪と彼にしては浮かれて、♪巽さんとこに行こう♪と、ヨコハマに行くことにし、決して東横線などという下賎な乗り物には乗らず、贅沢にも青山からタクシーで一路ヨコハマへ。かつて一度だけ、甘々なデートをした巽との思い出の場所をほっつき歩く透ちゃんである。
 思い出のニュー・グランド・ホテルのバーで良い気分でウイスキーをかっくらおうとして目に飛び込んでくる『視聴率の魔術師、島津正彦プロデューサー、KTVを去る!』なんてスポーツ紙の見出し。

 透が見いだした亜美の才能を買った島津は、それを確信し、また朝倉の敵意を透から遠ざけて自分に引き寄せるために、亜美を映画に使おうと決意している。無論、敏腕プロデューサーとしての勘と職業人としての誇りもある。透のためだろうが、島津が自分で決めたことであれば、その選択と決断は島津一人のもの。責任を感じてよけいなちょっかい出しはするな、と荻窪の大蜘蛛こと野々村に釘をさされ、透にはできることがない。
 それでも、これだけは島津のためにやってくれ、と言われたのが、「亜美と別れる」こと。だがしかし、真剣に透に惚れている亜美がそう簡単に言うことを聞くわけもなく。
 そんな中、同時進行で、こちらもいい加減破綻の瀬戸際の良—風間コンビが、それこそ、交互に透にSOSの電話をかけてくる。呼ばれて出向く度に悲惨なモノを目にすることになる透であるが、その博愛主義が災いして、ついには風間にまで“マリア様”呼ばわりされる悲劇である。
 風間は、ついに透に「巽を殺したのは良」と打ち明け、うすうす分かってはいたけど、確定的な事実として知らされたくはなかった透は、それじゃ、巽さんが死んだのは、良に巽さんをけしかけた自分のせいじゃん。と、分かっていたとはいえ、あらためて目前に突きつけられて透はショックを受ける。だがしかし、透に真実を知られたと悟った良は、いっそう透に救いを求め、そんな良に「かわいそうに」と心底同情しつつ、オレは良を愛してたんだ!良を理解するためだけのために、今までのオレの苦難や悩みがあったんだ。オレは良の為に形づくられたんだ、良の為だけに存在するんだ〜〜〜〜!と、自分の苦しみこそを存在意義に転嫁する、非常にありがちな自己正当化に爆走。
 相当に陳腐な展開と透ちゃんのモノローグも、栗本薫の語りでついうっかり感動させられてしまう。
 愛とはなにか。人を癒やすのは、自分自身を癒やすのはなにか。無心に、自分のことは忘れてひたすら他人の事を考え尽くすこと、人の為に心を砕くことこそが、自分自身の癒しになる、というかそれでしか自分が癒やされることはない。ということ。人から人に流れる愛のごとき何か、人と人の心の間に生まれる何かにこそ、人間が人間として存在する無上の価値があること。
 栗本薫が小説を書き、それを通じて世に知らしめたかったことは、それではないのか。そして、その愛を体現する透が、たとえどれだけぐらぐらしていようとも、行き当たりばったりで、そのとき目の前にいる人にこんこんと情が湧いて、この人を誰よりも愛してるんだ!死んだらこの人の元に魂になって戻ってくるんだ!とか、この人の為になら殺されてもいい、とか本当にそのときどきで考えていることがコロコロ変わって、矛盾だらけであっても、通しでみたら、コイツが一番不実なんじゃないの、とか思うことがあっても、だ。透が愛しくて、透の思いが切なくて、ただただ、胸が痛むのだ。


2022年5月30日月曜日

0349 朝日のあたる家 Ⅰ(角川ルビー文庫)

書   名 「朝日のあたる家 Ⅰ」
著   者 栗本 薫    
出   版 角川書店   1988年10月(単行本初版)/200211月(文庫初版)
文   庫 394ページ
初   読 2022年5月26日
ISBN-10 4044124175
ISBN-13 978-4044124175

 最初に書いておくと、このイラストはぜんぜんイメージじゃない、と思ったんだよ。やっぱり、「翼あるもの」の竹宮恵子のイメージが強すぎる。『ムーン・リヴァー』の表紙はとても素敵だったけど、と。
 ところが読んでいるうちに、なんだか馴染んでしまった。とくに、絶対違う!と思った島さんが、なんだか「あれ?これでもいいのか?」と。

 タイトル『朝日のあたる家』というのは、米国のトラディショナル・ソングで、多くの歌手が歌い、いろいろなアルバムに収録されているほか、日本の歌手も様々にカバーしている。私の記憶に残っているのは、女性ヴォーカルのものだったのだけど、ジョーン・バエズだったか?
“ニューオーリンズに朝日のあたる家と呼ばれる家がある、そこは娼館で多くの少年や少女が身を落とす。私のようにはならないで。この家に近づかないで・・・・”といった内容。歌詞にも色々なバージョンがあって、少女ではなく男、娼館ではなく刑務所のバージョンなどがあるとのこと。有名なアニマルズのは少年院のバージョン。



こちらもオススメ。ジュリーの『朝日のあたる家』です。この歳になって、(若かりし頃の)沢田研二にうっとりする日がやってくるとは思わなかった。人生って、いつも新しいわね。


動画を張りたいのはやまやまだけど、著作権的にどうなの、多分ダメな気がするので、リンクを張っておきます。必見


 さて、冒頭からジゴロっぷり全開の透ちゃん。結局これが彼の生き方なのね。とくに己を卑下するでもなく、自然体なのにほっとさせられます。『翼あるもの』の頃には、とにかく赤むけの膚を晒しているような悲痛な痛々しさに溢れていましたから。33歳になった透ちゃんは、かつて自分を拾って、愛して、死んだ巽と同じ歳になっていることに、静かに驚いている。透も大人になったな。
 巽が死んでから7年。一日一日を、どうにかやり過ごすし、死んでいないから仕方なく生きている、毎日のすべてが面倒くさい。そうはいうものの、時間の経過とともに、気持ちも落ち着いて、自分というものにやっと馴染んできて、透はけだるいながらも人肌の温かさのある、深みすら感じさせる人間になってきている。そして、透が相手にしている女は、自立して生命力に溢れていて、健康的なのだ。変温動物の透ちゃんが、岩場で日光浴するイグアナみたいに女の体温と生命力にぬくもってるって感じを受ける。

 透は触媒みたいなもの。
 透自身はなにもしなくても、(・・・ほとんどなにも。いや、結構バカなことを仕出かしてるか、)透の周りの人間がどんどん変化し、グズグズに崩れていくようだ。巽、雪子、亜美、良、風間、そして島津まで。そこで起きる変化は、在るべきものが在るべきところへ向かうものであっても、変化の過程があまりにも激烈で、同時に、痛手もあまりにも大きいから、誰もがあえて望まない変化であるにも関わらず、透が介在することによって、それが起こってしまう。自分は自分のことで一杯一杯、ただただ一日一日をなんとか生きているなだけなのに、と透本人は困惑するのだが・・・

 10年振りの良との再会は、巽の墓の前だった。良は、なぜ透がそこにいたのか知らない。しかし、この思いがけない良との再会が、透の生活にも、透を間に挟み火花を散らす雪子と亜美の母子にも、そしてあろうことか辣腕をきかせ、テレビ局内では“天皇”とまで奉られている島津の仕事にまで大きな影を及ぼしていくことになる。
 良は結婚そして離婚をし、麻薬中毒になり、仕事にも陰りが出ている。バックバンドのレックスは解散してソロとなり、良を支えるのは風間一人になって、風間は良に翻弄されて破綻寸前になっている。
 与党の超大物政治家朝倉の妻である雪子、その娘の亜美はそれぞれが透に入れ込み、透とそのパトロンであると目された島津が朝倉の恨みを買ってしまう。
 島津を窮地に追い込んだことを知った透もまた、袋小路に入り込み、良が離婚した相手である真木アリサに近づく。良を傷つけた女に仕返しがしたかったから、は多分建前で、透はだれか他人の力で破滅したかったのかもしれない。
 その誰か、になったのは、良を溺愛する風間だった。
 アリサと一緒にいるところを良と風間と鉢合わせした透が風間に激しく殴られる。嵐が去った後の虚脱感は透を死に誘うが、そのとき透は、帰るべき場所があることに気付くのだ。島津のマンションに戻り、殴られて腫らした顔を島津に晒して、透はそのことを島津に告げる。透のために、天皇とまで言われ、社長に手が届くところまできていたキャリアを投げ打つ決意をしていた島津も、ついに、自分の決して表にださなかった愛情が報われていることに気付く。

(巽さん。誉めてくれよ————おれ、あんたなしで、七年も生きてきたんだ・・・・・もう、いいだろう。もう・・・・・)

 巽から与えられた愛情の記憶が、これまでも何回も透を生かしてきたのだろう。しかし、このとき、透を生の方に引き寄せたのは、巽の思い出ではなく、島津への気持ちだった。
 どこをとっても、透ちゃんは切ないのだけど、ここは極めつけに切ない。


 これまで、風間や透の目を通して、その輪郭しか語られてこなかった良が、ついに自分の言葉で自分のことを話し始めるこの物語。良は透を傷つける存在ではなくなり、透は自分の、良への深い愛情を自覚しつつも、そのあまりの不安定さに慄いてもいる。その透をバックアップする島津がどんどん“いいひと”化。かつてのサドの帝王の面影はもはやない(笑)。そして、透に示す嫉妬と愛。いやはや。

 透が、この年月でなんとかかんとか乗り越えてきたもの、それなのに良に再会して引き起こされる過去への心の揺らぎ、必至で事態を掌握しようとする、だけどできない足掻き、透を触媒として巻き起こる周囲の感情。透目線での「どうしようもなさ」が、読者の透への愛をいっそう搔き立てるこの巻。まだ全5巻の一冊目でこれだ。これからどうなってしまうというんだろう。(いや、知ってるけどさ。)


2022年5月29日日曜日

そんなわけで、『トップガン・マーヴェリック』を観にいった


 
 空母エイブラハム・リンカーンが撮影に全面協力したと聞いて、なんとしても観たくなったので、トップガン・マーヴェリックを観に行ってきた。
 いや、良かったです。マジで。
 トム・クルーズ年齢重ねて良くなったよねえ。ちょっとお笑いポイントもあり、泣かせるポイントはふんだんにあり。だがしかし、ネタバレ御免。トムキャットが飛んだ瞬間、第4世代のF-14と第5世代のドッグファイト、そしてボロボロになって空母に戻ったとき。アレスティングフックも降着輪も失った戦闘機をああやって着艦させるのか、とかいろいろと。ああもう!良かった。すでに2回みたが、あと1回だけ。IMAXで観たい。
 ちなみに、最後までクレジットが流れたラストで、客席から拍手が湧く映画ってそう無いんじゃないかな。観客がなにかを共有した瞬間。いやあ〜、映画って本当にいいですね。

2022年5月26日木曜日

命の洗濯的な一日(仮記録)


今日の横須賀・横浜歩きの記録をUPしようと思ったのだけど、書きたいことがありすぎて、眠い。(←違う!)
ひとまず、読書メーターの方に沢山つぶやいたので、こっちに記録を残しておく。
2ヶ月もすると、読メでは記事を拾えなくなってしまうのだが、元のデータはあるだろうから、リンクも多分生き残るのではないかと期待して。

♯1 今日は休みをとった。

♯2 沢田研二を聞きながら、『朝日のあたる家』を読みながら横浜へ

♯3 護衛艦いずも

♯4 ビューポイント

♯5 動いた

♯6 山下公園

♯7 氷川丸

♯8 馬車道十番館 イチゴショートケーキ

港のヨーコ・横浜・横須賀(大人の休日 番外編)〜横浜市歌〜



小中学生時代を横浜で過ごした市民(旧市民も含む)は、ほぼ全員が『横浜市歌』を歌えます。(ちなみに彼らに出身を問えば、神奈川県ではなく、「ヨコハマ」と答えます。)
なんとなれば、小学校に入学すると「校歌」より先に「市歌」を覚えるからです。
毎週の朝礼で、校歌より先に歌い、最初の音楽の授業で習い、確実に覚えます。
私の小学校時代、副教材として配布された『ポケット歌集』には、最初のページに横浜市歌が掲載されていました。

歌を習うだけでなく、歌詞の意味もちゃんと習います。(私が習った記憶を再現してみます。)

我が日の本は島国よ 
日本は、このような島国です。
(地図付きです。初めて世界の中の日本を知る瞬間です。)→世界地理
朝日輝よう海に 連なりそば立つ島々なれば
「日出ずる国」であることをを知る瞬間でもあったかもしれません。東から登る朝日に煌めく海と照らされゆく島々のイメージです。→歴史・古典・地学も?
あらゆる国より船こそ通え
航空なんてメではありません。貿易の中心は船。世界中から船が集まるのです。→社会科
されば港の数多かれど この横浜に優るあらめや
特に云うことありません。横浜isナンバーワン です。日本中・世界中に港は星の数ほどあっても横浜が一番なんです、というハマッ子の誇りが溢れるところです。(きっと神戸市民は、神戸港に同じくらいの愛着を持っているに違いない、函館も、その他の港もしかり、と想像します。)
昔思えば、苫屋の煙 ちらりほらりと立てりしところ
横浜が開国港に選ばれたのは、人の少ない寒村だったから。江戸からの距離が近くも遠くもなく、外国の干渉を程良くコントロールできる地理だったからでしょう。その名前のとおり、白い浜が横に広がり、漁師の家や街道沿いにまばらにある茅葺きの民家から囲炉裏の煙が上がるような漁村の風景だったのだろうと想像します。小学校1年生が、初めて郷土史に触れる瞬間です。 →生活科・郷土史
今は百船百千船 泊まるところぞ見よや
「百」「百千」が実数ではなく、「もの凄くたくさん」「数え切れないくらい多い」という比喩表現であることを教えられます。国語表現の入り口です。 → 国語・古語表現
果てなく栄えて行くらん見よう 飾る宝も入り組む港
横浜の宝は、この港。未来永劫この横浜港が栄えていくことを見届けよう、というインプリンティング。横浜市民の完成です。 ※ ←本当は栄えていくらん御代をなので、これは私の記憶まちがいです。果てしなく栄えていく御代を飾る宝はこの港である。という強い強い自負を感じるラストです。



おまけ Y校校歌(ちなみ卒業生じゃありません。かつて高校野球中継で何回も聞いて、好きになっただけ。『商人我ら(あきびとわれら)』の歌詞が大好きです。横浜は貿易と商業の町なのです。伝統のY校(横浜商業高校)は、市民の誇りです。(すくなくとも、〇十年前は・いまはどうなのかしらね。)


港のヨーコ・横浜・横須賀(大人の休日・本編②)〜横須賀軍港巡り・ふたたび〜


 最初の写真は、ヴェルニー公園の先っぽから間近にみた《いずも》です。
ヘリコプター搭載型護衛艦《いずも》DDH−183
横須賀配備のいずも型の一番艦。B35が搭載できるように改修が予定されているとのことで、改修後は姿も変わってしまうらしいです。この姿が見れるのはいつまでなんでしょうね。2枚目の写真は、海側からみた《いずも》。すっきりとした姿が印象的です。
今回会えた潜水艦は、この一隻だけだったかな。エックス舵のそうりゅう型のようです。昨年12月に来たときには、たしか7隻ほどの潜水艦が集合していたのですが、やはり珍しい光景だったのかも。

護衛艦《あたご》DDG-177
イージス艦です。あたご型護衛艦の1番艦。
米軍側の岸壁にイージス艦が2隻ならんで停泊。
《フィッツジェラルド》
 DDG-62
アメリカ海軍アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の12番艦。

アメリカ海軍タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の21番艦。
遠景に見えるのが、出港したエイブラハム・リンカーンです。浦賀水道を南下中。手前のコンクリートの構造物は消磁所、というらしいです。磁気機雷から艦を守るために船体にたまった磁気をクリアするための場所だとか。
手前はステルス護衛艦の《くまの》です。
護衛艦《くまのFFM-2は、もがみ型護衛艦の2番艦。ステルス性能を高めるために、凹凸が少なく、武装や装備は基本収納されているので、こう、つるんとしています。
奥の艦は、前回12月にも逢った護衛艦《たかなみ》
ダグラス・リーマンの小説の影響で『掃海艇』という比較的小型だが、危険な仕事に従事する艦艇が好きになり、それの『母艦』ということだけでなんだか胸熱・・・・・な、海洋軍事小説好きの心が騒ぐ艦であります。
おっと、艦番号1!
ステルスフリゲート艦を2隻も観ちゃった♪な、『軍港巡り』
ージス護衛艦《きりしま》DDG-174
補給艦《ときわ》 AOE-423
イージス護衛艦《あたご》DDG-177

この三艦をぜひ一枚に収めろ、と『軍港巡り』の案内人さんのお言葉により。

港のヨーコ・横浜・横須賀(大人の休日・本編①)〜原子力空母エイブラハム・リンカーンの出港を見送る〜


 原子力空母エイブラハム・リンカーンが横須賀に入港したのが、5月20日。入れ違いに、横須賀を母港とする空母ロナルド・レーガンが出港した。なんとなれば、横須賀に空母が接岸できる岸壁は一本しかないのだ。
 そのエイブラハム・リンカーンは、これで離発艦できるのか、というくらい飛行甲板に艦載機を満載しての堂々の入港。これ、ひょっとして中国・北朝鮮への見せびらかしか?

 実は、その翌日の21日、22日は横須賀の三笠公園で海軍カレーのフェスティバルが開催された。天気がよければ海軍カレーと『軍港巡り』に出向こうかと思っていたところだったのだが、リンカーンを見に来る人と、カレー祭りと、どれだけ人が集まるのかと思った瞬間に萎えて、外出を断念した。

 しかし、リンカーンを一目見たい。職場の仲間に心の中で手を合わせ、平日ならば人出もそれほどではあるまい、と一日お休みをいただいた。そうしたら、当日朝のニュースで、リンカーンが出航するというではないか。リンカーンの出航予定時刻が朝10時。軍艦巡りの予約が11時。間に合わない。せめて、出航を一目見送ろうと、早めに家を出て横須賀に向かったのだ。

 ヴェルニー公園の一番端から、見えるだろうか?はっきりいってにわかには、湾を挟んで反対側に何本も見えるマストのどれがリンカーンだか見当が付かない。同じくリンカーンの出航に逢わせて集まった人々が望遠カメラを向けている方向で、レーダーが回っているのがおそらくリンカーンだろうとあたりを付けて、動くのを待つこと30分以上。

 予定時刻を30分ほど過ぎた10時半近く、ゆっくりと横に動いていくマスト。
そして、艦橋。だがしかし、原子力空母はデカかった。なんとなく陸上の構造物だと思い込んでいた部分まで、ずずずずっと横に動いていた(笑)。
 空母は私が遠目に陸だと思っていた部分全部で出航していったのだった。


 洋上のエイブラハム・リンカーン。


こちらはヘリコプター搭載型護衛艦いずも。いずもだってデカいとおもうけど、やはり原子力空母はケタがちがいました。

2022年5月23日月曜日

0348 翼あるもの 下(文春文庫)

書   名 「翼あるもの 下」
著   者 栗本 薫    
出   版 文藝春秋 19855月(文庫初版)
文   庫 362ページ
初   読 1985年?
再   読    2022年5月20日
ISBN-10 4167290057
ISBN-13 978-4167290054

 多分〇十何年まえに読んだはずのこれらの本の中で、記憶の断片が残っているのは、この本だけだった。
 しかし、その記憶ってのが相当いい加減かつアレで、ビール瓶だと記憶していたのが、実はコーラの瓶だったり、ナスではなくキュウリだったり。(何の話だか分からんひとは、深く考えんでよし。) 結構正確に覚えていたのが、“純正の蛋白質”だったりするのが、我ながら恥じ入るところ。
 初読は中学生の頃だったんだけど、この記憶が示すとおり、あの頃の自分に、この本の内容をちゃんと受け止められていたとは思えない。この歳で再読して、なにしろ、凄い本だと思う。

 さて、読み辛かった上巻とは打って変わって、最初の一行から引き込まれる。ムーン・リヴァーから遡って、すでに透ちゃんが愛しくて仕方ないので、六本木のバーのカウンターで、透ちゃんがコートを着たまま震えているだけで、こっちの胸もきゅっとなる。

“彼は、植えかえられたサボテンのように、不幸そうだ。”

 って透の目からみた巽の形容がまず目に止まる。このわかりにくさに速攻でツボる。植え替えられたサボテンって・・・・・? サボテン、植え替え難しそうだよね。枯らしちゃいそう。島津さんの趣味もサボテン栽培だったりするし、栗本サンもサボテンが好きだったのかな。
 

 赦そう、と心のどこかにそっと透は思った。人が人であり、良が良であり、そしてオレがオレであること。このようにしか在れず、(かれ)がそのように在って、それゆえに透か長い自分のため闘いに疲れはててここに座っていること。・・・・・・

 巽を愛している、と透は思った。この(時)を愛するように、(かれ)を愛するように、(かれ)を愛するすべての──そして透を選ばなかったすべての人を愛するように。たとえいまこのときだけだとしても。(p.117) 

 その日かれは巽に長い物語をした。口に出した切れはしもあったし、ことばに出さず、ただ胸の中でだけ、ささやきかけた思いもあった。喫茶店を出ると並んで元町を歩き、それから小さな店をひやかして歩いた。巽が透に銀の風変わりな指輪を買いたがるのをやめさせて、美しい透かし細工の柄のついた、細身のペーパー・ナイフをねだった。象牙の刃身に、するどい銀の刃がかぶせてある。贈り物にナイフはいけない、ふたりの間を断ち切るから、という云いつたえを、巽は知っていないようだった。透が切りたかったのは、巽を(赦す)ために邪魔になる、信じるからこそ裏切りをいきどおる人のならいの(心)そのもの、であったかもしれない。(p.118) 

 時はひたすらに流れてゆけばいいのだった。思いはとどまるだろう。口に出さぬ物語をして、透は、二十五年、ひとりで持っていたすべての思いをその思い出ごと、巽に預ける夢を見た。(p.118) 

(お前は、誰だったのだろう)透は、良、などという人間が、本当にいたのだろうか、とふと疑ってみる。ひょっとして、良は、ひとびとの(思い)そのものではなかったのか。

 巽の朴訥でおおらかな情と熱に包み込まれて、だんだん、凍りついた透の心が解けてくる。その中で、自分が(今のような)自分であること、良が良のような存在であること、を受け入れて、ありのままを赦そうと思う。そのような変化を彼に与え、今も透を守り通す自分であることを信じて疑わない巽を、透は、その巽の思いが永続するものではなく、移ろいやすく壊れやすいものでしかないことも確信しながら、その存在を愛する、と思う。のちに島津が《聖母マリア》と形容する透のその愛の片鱗が初めて見える一節。

 幸せとは言えなかった自分の25年の人生の苦しみを、巽に預けるように手放すことで、透は大人になろうとしている。と思った。しかしその後の道のりも、それはそれは厳しく残酷なものなのだ。

 ラストの、透の中の《良》の虚像が崩れたあとの、風が吹き抜け、透の周りの空気が動く(と感じられる)描写が、あまりに光と希望に満ちていて、あまりにも清々しくてまた、切ない。その身を投げ出すようにして透が守ろうとした巽はこの後、事もあろうに良に殺されてしまうことになるわけだが、この本の中では、そのシーンまでは語られないのも、そうと知っている読者には悲劇の予感が大きすぎる。透はどれほど狂乱したことだろうか、読者の想像にお任せとは。それにも関わらず、このラストは希望と期待に満ちているのだ。なんてことだろう。

 野々村の御大は、この本だけ読むと、特に出だしは卑猥で助平な役得づくの脂ぎったイヤな野郎なんだけど、この男の情の厚いまめまめしいところも知っていると、なんともいえない人間の業の深さを感じる。島津さんも、ほんとただのサディストだけど、この後、透の面倒を見続けて、『ムーン・リヴァー』に続いていくからねえ。『アイ誕10週連続勝ち抜き』っつう企画は、いっくらなんでもベタ過ぎるだろう、と苦笑しか沸かないんだけどさ。


2022年5月20日金曜日

0347 翼あるもの 上(文春文庫)

書   名 「翼あるもの 上」
著   者 栗本 薫    
出   版 文藝春秋 19855月(文庫初版)
文   庫 353ページ
初   読 1985年?
再   読    2022年5月20日
ISBN-10 4167290049
ISBN-13 978-4167290047


 読書メーターやAmazonのレビューをざっと見るに、BLから入って源流に遡るみたいに、いわば、その道を極めるために古典を読むみたいにして、この本を手に取る人が一定数いるみたい。

 当時この道を表現する隠語が「やおい」だったり「風木」だったり「June」だったりした頃の耽美で背徳的で不健康で、少し背伸びしていて、親には絶対にヒミツだったりしたあの空気感は、昨今の元気で健康でオープンで幸せな感じのBLにはないなあ、とノスタルジーに浸りつつ、〇十年ぶりの再読。

 あの時代があってこそ、今の日本のLGBTQがあるんだろうかね。性的マイノリティの知識を一般に広げる一助にはなったんだろうか、それともかえって、偏見を助長したのだろうか。あの頃は「美少年」愛だったものが、今はちゃんと大人の恋愛になっているのにも、ジャンル的な成熟を感じる。

 

 と、そういう往年の読者っぽい感慨はさておき、内容的には、ジャズやロックの蘊蓄とTV業界のウラ側と、風間視点のスター理論と、偶像化・美化された今西良に対する賛辞と耽溺の大渦巻きです。風間の独白になんとか移入できるまでの前半はもう、読んでてツライ。風間さん。あんた、人間の中身をなんも見とらんだろう? 人間はロマンチシズムや熱狂だけでは出来てないぞ。と。だがしかし、中盤過ぎて、そんな風間に慣れてしまったものだか、なんと引き込まれてしまった。凄いぞ、栗本サン。そしてラストの大惨事。わたしゃ、森田透推しなせいか、どうにもジョニー命の風間はおバカで好きになれなかったのだけど、だんだん彼に同情心も沸いてきました。

 

 逆説的になるかもしれんが、この話には今西良という青年本人は登場しないのだ。

 登場するのは、風間のイメージの中にある、今西良という姿をとった偶像。聖なるミューズに対しては全てが赦されるのだ、という独善的な妄想と妄執によってすべてが正当化され、個人個人の入れ込みが狭い集団内で強化されて、悪魔教的な共依存によって生み出された蠱惑的なアイドル像である。

 良本人が何を思っているのか、何を望んで何を望まないのか、何が出来て、なにが出来ないのか、なんてのはどーでも良い。良にとっての安定や幸福の所在、なんでいうのもどうでもよい。外形的な美しさとその外形がまとう、薄幸で不安定だからこそ生まれるエネルギーの発光こそが、なによりも彼に“心酔”する連中にとっては大事なのだ。世の中を席捲するアイドル、夢の世界の象徴としての“今西良”であり、自分勝手でお子様でワガママなのに金と権力と追従だけは有り余るほど持った卑小な人間の集団妄想としての“今西良”である。

 アイドルとはどんな存在なのか。それが少しわかるような気がしてくる狂るおしい小説であった。

 私は、小説を読む時に「人」を読みたい思うので、この本では今西良、その人を知ることができないのが隔靴掻痒の感がある。また、風間を「知り」「理解したい」と思うかというと、そういう趣味はない。私は良に、風間のイメージを通してではなく、良本人に感情移入してみたい。

 余談ながら、私は未だかつて、“アイドル”というものや“スター”というものに熱狂できたことがない。芸能人は『芸』を鬻ぐのが仕事なのだから、こっちは『芸』を受け取れば良い。

歌手なら『歌』、俳優なら『演技』が良ければそれでよし。それ以外のもの(例えば私生活)には興味も無いし、周囲の人たちがアイドル歌手にキャーキャーするのが素で理解できなかった人間なので、なんというかこの小説の世界はある意味新鮮だった。人間の妄想ってのは、際限がないし、ほんとしょーもねーなあ、と思うとともに、それが優れた作品になるってことにもある意味感動。

 そうそう、3次元の生きた人間に妄想してキャーキャーすることはできないが、2次元であれば私にも可能だ。(初めから妄想の産物だからかも。)


なお、前書きで著者の栗本薫氏は以下のように書いている。

「前作は多くの無理解と誤解と反発、少しの支持と理解とを得た。この作品もそうであろうと思う。しかし、読者に本を選ぶ権利、批評する権利があると同様、ほんとうは本にも読者を選ぶ権利がある。この本はほんとうは、「真夜中の天使」を読み、その新に云わんとするところを、表面的な特殊さをこえて理解して下さった方々だけにしか、決してほしくないし、多く売れることも、ベスト・セラーになること、批評に取り上げられることも少しも望まない。むしろ八割方の男性読者には、なるべく読まないでくれるようにお願いしたいほどだ。しかし、読まれ、誤解されることナシには共感と知己をうることもまたない。ただ、表面にあらわれたことばや題材に目をうばわれ、目をそむけ、あるいは石を投げる人には、私がこれらの作品群で云おうとした真実のテーマは、決して胸の中に届くことはないであろう。どのみちそうした読者のことばが私の胸に届くこともまたないのである。」


 著者にとって、私が望ましい読者であるか、著者がほんとうに理解してほしいと欲したことを受け取ることができたのか、という点については、非常に心許ない。だが、著者の思惑をこえたものを、時には読者に与えることになるのも、小説作品の妙だと思うので、私のつたない感想も赦していただけたら、と思う次第である。



2022年5月15日日曜日

0346 所轄刑事・麻生龍太郎 (新潮文庫)

書 名 「所轄刑事・麻生龍太郎」 
著 者 柴田 よしき         
出 版 新潮社    2009年7月(文庫旧版)
    KADOKAWA 2022年7月(文庫再版) 
単行本 384ページ
初 読 2022年5月14日
再 読 2022年7月26日
ISBN-10 4041125324
ISBN-13 978-4041125328

KADOKAWA 版(新)
『RIKO』シリーズ、『聖なる黒夜』の麻生龍太郎、駆け出しの所轄刑事時代の短編集。
 『聖なる黒夜』から追いかけて5月に古本を入手したのに、7月に新版が出た、というタイミングの悪さだったが、それでもありがとう角川!
 本棚に美しく並ぶ本も大好きな私としては、背表紙が揃うのはとても嬉しい。
 
 そして新たに収録された短編はもっと嬉しい。

 ちなみに駆け出し刑事麻生の所属する「高橋署」、読み方は「たかばし」、場所は江東区高橋で、現実世界では深川署の管内なので、モデルは深川署かな?そして、思いのほかワ
ンコ本だった。

◆大根の花◆
「早く行ってやらないとな。もし奴が本ボシなら、今ならまだ、刑事事件としては微罪だ。謝罪させてそれで被害者が納得すれば、送検しなくても済む。だがほおっておけばきっとエスカレートする。未来を棒に振る前に、止めてやろう」
新潮社版(旧)
 

  のちに山内練の事件のときの、麻生の心境の底にもこんな思いがあったのだろうな、と思わせられる、先輩の今津刑事の言葉。ホシは社会性の身についていない気弱で精神を病んだ大学生。この時は刑事の優しさが大きな不幸を未然に防いだが。

 だが、麻生の「やさしさ」はもう一人の不遇な少年に、これからどう対処するのだろう。明日、話を聞く。被害宅に一緒に謝りに行く。それから? その少年の更生は、麻生が出会った少年を心配する花が好きな少女の愛情次第なのだろうか。少女の愛した少年は、傷つき、卑屈で、猜疑心が強く、押さえ切れない暴力衝動があり、ポケットにナイフを持ち歩く。それだけでなく、短絡的な腹立ちを発散させる為にそれを使う。そんな少年の育て直しをあんたは無責任に、少女に期待するのか。かといって、刑事事件で処理するほどの大きな事件ではない。まさに「一緒に頭を下げる」ことで事件は解決する。で、その後は?
 麻生は、きっとその後は追わないだろうと思う。たとえば、自分に連絡がとれるように電話番号を渡して、いつでも相談に来い。と言ってあげるだろうか。自分の冷淡さを仕事の上での割り切りと思うことができる男だから、山内練の事件でも失敗したのだ。だけど、きっとこういう少年を救う可能性があるのは、夜廻り先生じゃあないが、そんな「職業」の垣根を越えた大人の関わりだけだろう、という気がする。

◆赤い鉛筆◆
 共同洗濯場があるような、古いアパートの一室で縊死死体で発見された若い女性。検死の判断は自殺。だが、高い所から吊ったはずのロープは切断されており、梁や窓枠やカーテンレールかなにかに結び付けていたはずのロープの反対側が見当たらない。不自然な現場に麻生は納得がいかないが、多少の違和感があっても自殺と断定されれば、警察に捜査権はない。その前に、と急ぎ捜査を進める麻生達所轄の刑事。「民事不介入」の原則のギリギリの際まで刑事の矜持が事実を追い込んだときに、真実が明らかになる。

◆割れる爪◆
 「そりゃ、女にだって浮浪者はいるだろうさ。けどな。女の場合は、全部なくしてもひとつだけ金に換えられるもんがある。よっぽどのババアでない限り、夜は屋根のあるところで寝られるんだよ、本人が割り切りさえすりゃな」

 援交、パパ活、神待ち、なんて一瞬犯罪からは離れた印象を与える罪作りな言葉も流行ってるが、結局のところ売春行為で、れっきとした犯罪。売る方も買う方も。でもそうやって一日一日をなんとかやり過ごしている女性は確かにいる。しかもかなり沢山いる。場合によっては暴力団がバックにいて管理されている場合だってある。女の側が割り切りゃあいいってもんではない。そんな女性の苦難。だからって、ワンコ? ありそうで、ありそうもない話ではあった。

◆雪うさぎ◆
 話の筋とは関係ないが、かつて、某専門系大学の剣道部出身者が当たり前とする職場内での過酷な上下関係・・・・・単にパワハラともいう、を身近で耳にする経験があったので、及川と龍太郎が所属した大学剣道部もそんなんだろう、と想像した。あの人たちの1年でも先に入学、そして入職したことで得るヒエラルキーたるや、常軌を逸していたと思うよ。もし、自分がパワハラを受ける当事者となっていたら、たぶん、こっちも死ぬ気で追い込みかけたろうな、と思う。幸い(と、言ってしまうと、実際のパワハラ当事者だった知り合いに申し訳ないが)自分は当事者ではなく、残念ながら目撃者ですらなかった。
 ところで及川、警部補とはいえ28歳の地方公務員の身で、神楽坂の賃貸マンションに一人暮らしはちょっと豪勢過ぎるんじゃないか? 家具・インテリアも洋服も趣味が良いし、ひょっとして良いとこのボンなのかも。

 ちなみに、珈琲チェーン店の緑色の看板といえば、「珈琲館」ですかね。写真は菊川店。両国駅近に“ヒー館”があるかどうかは知らないけど。高校時代、仲間や先輩たちと放課後にたむろったのは、“ヒー館”、今はなき珈琲チェーン店の“コロラド”(現在はドトールを展開)、リーズナブルだった喫茶店の“ヒルトン”そして紅茶専門店の“アロマ”・・・・・これ、ひょっとして身バレするかも?

◆大きい靴◆
 気は小さいが頭は賢く、飼い主の小学生の女の子の指示に合点承知!と得意顔の柴=ポメ雑種を想像するとどうにも面白い。
 それにしても、大きな長靴のくだりはどうでもいいかな、と思った。男の子の存在に重きをおきたいがために、犬やらなんやら、作り込み過ぎな気がする。もっとシンプルな話でいいのに。

◆エピローグ◆
 本庁に異動の辞令を受けた龍太郎。
 仕事ではスーツをビシッと決めた及川の私服は白いセーターに黒のジーンズ。真っ直ぐな背筋が武士を思わせる。白の上着に黒のズボンって、思えば剣道着と同じ色合いだ。
「身だけは守れ。破滅しそうになったら逃げてくれ」
 及川がそういうからには、やっぱり龍太郎はどこか、いつか、破滅しそうに見えるんだろう。どっかなんか足りない。と感じる龍太郎は、その「足りない」部分にこれからの人生を支配されていくんだな。別れは、龍と純どっちが悲しかったんだろう。

◆小綬鶏◆(角川の文庫再版に収録)
 角川新版に新たに収録された特別書き下ろしの短編。
 龍太郎の手元に届いた一通の封筒。中には美しい筆跡の手紙。
 かつて龍太郎が逮捕した男が、病没したとの知らせだった。罪を償ったあと、陶芸作家になっていたその人が、龍太郎に残したのは、陶器の鳥の置物。
 鳥はコジュケイ。「ちょっとこい」と鳴くことから、別名は警官鳥というそうだ。

“そうだ。自分は、正義の為にに警察官になったわけではない。そして、悪を憎むと言い切る自信もない。”

“警察官とは、なんなのだろう。道を踏み外してしまった者にとって、自分を逮捕する警察官とは、どういう存在なのだろう。” 

 

2022年5月9日月曜日

0345 逃亡テレメトリー/マーダーボット・ダイアリー (創元SF文庫)

書 名 「逃亡テレメトリー/マーダーボット・ダイアリー」 
原 題 「FUGITIVE TELEMETRY 他」 2018〜2021年
著 者 マーサ・ウェルズ    
翻訳者 中原 尚哉    
出 版 東京創元社 20224
単行本 244ページ
初 読 2022年5月8日
ISBN-10 4488780040
ISBN-13 978-4488780043

 このたびも、冒頭からぼやきが止まらない弊機です。メンサーを(グレイクリス社から)守る、ということを至上命題とし、防御にかけては隙だらけのプリザベーション連合の治安システムと警備当局に終始イライラいらいら(笑)。
  •  おまけに、弊機のプリザベーション・ステーションの中での立場を向上させる為にも、警備当局と協働して緊張関係を緩和すべき、と考えるメンサーの指示で、警備局と殺人事件の捜査協力をするはめになり、イライラ値も絶賛向上中(笑)。
  •  なかなか弊機を信用しきれない警備局の上級職員のインダーさんでしたが、それは、基本善人なので、マーダーボットの基本姿勢(捨て身の滅私奉公)にだんだん絆されるのも、お約束。少しずつ、人間の間で暮らすことや、距離の取り方を学習・・・・と、いうよりは、周囲の人間に学習させている弊機です。次作も楽しみ。



2022年5月6日金曜日

0344 キャバレー (角川文庫)

書   名 「キャバレー」
著   者 栗本 薫    
出   版 角川書店 1984年12月(文庫初版)
           2000年  6月(文庫改版)
文   庫 309ページ
初   読 1985年?
再   読    2022年5月5日
ISBN-10 4894567040
ISBN-13 978-4894567047

 初読は、たぶん初版だと思われる。
 ほぼ、40年近く前じゃないか。年はとりたくないもんだ。
今にして読むと、矢代が青いったら。。。若いったら。。。ああ、若いってのは恥ずかしいものだ。
 
 「いいとこ」の坊ちゃんで、有名私立大(多分、作者と同じ早大かな。)に入り、ジャズ研でプレイするには飽き足らず、才能はあるが、ただ、流れにのってプロになるのも満足できず、大学を飛び出し場末のキャバレーで人生とジャズを修行中のサックス奏者・矢代と、強面のヤクザの代貸・滝川の束の間の邂逅。
 きらめく才能と、若さ故の向こう見ずを、まるで壊れやすい宝物のように守ろうとする滝川。場末が場末らしく、ヤクザがヤクザらしかった時代と、生の音楽。キャラクターのセリフ回しや盛り場の雰囲気なんかは、今となってはさすがに時代がかって感じるものの、矢沢の優しい息のようなフルートの音色や、震えるアルトサックスの音だけは今もって生々しい。いや、この年になって読むと、さすがに矢代の内心のポエムはかなり恥ずかしいものがあるが。

 才能を持つもの。それを開花させる力があるもの。
 小説の中でしかあり得ない出会いと、交わされる言葉。溢れ、踊り、絡む音楽。
 それを、小説として紡ぐ才能。自分が中学生くらいの頃、夢中になって読んでいた栗本薫氏の才能を、今ごろになって、惜しんでいる。

2022年5月5日木曜日

0343 ムーン・リヴァー (角川文庫)

書   名 「ムーン・リヴァー」 2009年
著   者 栗本 薫    
出   版 角川書店 2017年12月(文庫版)
文   庫 464ページ
初   読 2022年5月4日
ISBN-10 4041061474
ISBN-13 978-4041061473

 栗本薫を読んでいたのは主に中学生の頃で、ご多分に漏れず『グイン・サーガ』『魔界水滸伝』『ぼくらシリーズ』などが中心だったが、『翼あるもの』を読んだのも多分中1か中2の時。
 今にして思えばあの年齢であの本ってどうよ、と思わないでもないが、『風と木の歌』だって読むとなったらあの年齢だろうし、近代以前であればその年なら婚姻していてもおかしくないわけだから、実際それほどでもないのかも、と思ったり。そういえば源氏物語(円地文子訳)を全巻読んだのも中1だったよな、とか、そういえばあの頃は一日1冊文庫が読めていたよな、とか、友人たちと回し書きで小説書いていたよな、とか、友人が書いたロマンポルノをみんなで回し読んでたよな、など、ヘンなことも含めて、いろいろと懐かしく思い出した。

 それにしても、凄いものを読んでしまった。
 人間の中にどれほどの愛と欲があるのか。これほどの苦痛に耐えて人は人を愛せるのか。これを読んだ衝撃が上手く表現できない。透の存在が綺麗過ぎて、息が詰まる。

 『翼あるもの』での島津と透の出会いから、どれほどの愛憎の物語を経て、この本の二人に到ったのか。
 透は島津への深い信頼と愛情に支えられて日々を送りながら、巽を殺害した罪で服役中の良の出所を待っている。透にとっては、島津への愛も、良を愛することも、これまでまったく矛盾してこなかったようだ。透にとっては、島津は全面的に信頼し、自分の全存在を受け入れ、愛してくれている『他者』、そして良は、まさに片羽、自分自身にも等しい存在なのかもしれない。

 透がその名の通り透きとおっている、というか、憑きものが落ちたように浮世離れしていて、人でないもののように美しい。『翼あるもの』の頃の、苦悩に満ち満ちていたころからすると、堅くみにくい鱗の外皮を脱ぎ捨てて、赤子のような清純な柔らかさに満ちている。
 自分の死期を自覚した島津は、その透への深い愛情に肉欲が伴っていることをついに認めた。島津も今西良も、どちらも愛している、と言ってはばからない透に対して、島津は嫉妬を剥き出しにし、生涯の終わりに、一生で最初で最後の、血みどろの凄惨な情愛を透に向ける。

 そして、透は、どれほどの苦痛を受けてなお、島津を慈しむ。

 そして、透を嬲り殺そうとしながらも殺しきれなかった島津は、自分の死後のあれこれを整え、自分の人生を自分の意志で全うする。



 森田透とは、希有な存在だ。
 自分を投げ与えるようにしてしか、他人と関わることのできなかったかつての透の人生で、苦しみは苦しみのままに、悲しみは悲しみのままに、暴力は暴力のままに、愛は愛のままに、自分の中に受け止めている。若い未熟なころは、それぞれの鮮烈で苦しい感情を、嫉妬とか憎悪とか、恨みで濁らせていたが、長い彷徨の末に、自分の半身とも言える今西良との再会を果たした頃には、透は、自分の苦しみをありのままに受け入れ、自分に関わる人々には惜しみなく愛を与える人間になっていた。こうなるまでに、いかに苦しい道を歩んできたか。40歳近くなった今、巽殺害の罪を償うために服役している良を待ちながら、透の存在はあり得ないほどに清らかで美しいものとなっている。
 透の生き様がどれほど稀少なものか、島津は気付き、それを愛し、手の内に守るようにして暮らしてきたのに、死は二人を分かったのだ。

 憎愛、妄執、死への恐怖に根ざす凶暴性。生の限界が目前にあるからこそ解き放たれた肉欲。その描写はただごとではないのだが、何よりも島津を失ったあとの、透の絶望的な孤独に、そして、それでも生きて行くことを、受け入れた透のこれから、に、読後もしばしとりつかれるような気持ちがする。

2022年5月2日月曜日

2022年4月の読書メーター

 3月末に突然の辞令を受け、慌ただしく残務処理と引き継ぎを行い、新職場に異動。やっと仕事にも馴染んできたところです。新しい職場は、日々スリリングです。何が、かはナイショ。勉強しなくてはならないことが沢山。それにしても、小説から得た知識が思いのほか役に立つってどうよ。(私の読書傾向からしたら大概です。) そんなこんなで読書はあまり進まなかったが、読んだ本の内容は濃ゆい。『聖なる黒夜』をオススメしてくれた読み友さんには感謝です。そしてガブリエル・アロンの新刊!あらすじは押さえていたものの、翻訳で読ませていただだける有り難み。改めて、HCJにも感謝を。そしてお願いだ。未訳の中抜け巻を、翻訳出版してください!『モスクワ・ルール』とか『ポートレート・オブ・スパイ』とか全部読みたい!

4月の読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:2579
ナイス数:821

報復のカルテット (ハーパーBOOKS)の感想
アロン家はコロナを避けて、エルサレム市街の自宅から、故郷のイズレエル谷のラマト・ダヴィドに程近いナハラルに仮住まいしている。双子たちは田舎暮らしで逞しく成長中。ガブリエルは新しく入手したガルフストリームに現金を詰め込み、人工呼吸器や検査薬や、医療用防護衣を世界中で買い付けて、国内の病院に配布。政治家への転身の準備か・・・との世間の噂も。そんな折、ガブリエルと旧知のイギリス在住のロシア人富豪が毒殺される。手を下したのはもちろんロシア。ガブリエルは手にした情報を武器にロシア大統領の隠し財産に牙を剥く。
読了日:04月30日 著者:ダニエル シルヴァ

私立探偵・麻生龍太郎 (角川文庫)私立探偵・麻生龍太郎 (角川文庫)感想
位置付け的には、RIKOシリーズのスピンオフ『聖なる黒夜』の続き。時系列的には『聖黒』からRIKOにつながる隙間をつなぐ本書。春日の杯は練にとっては、麻生の前に置いた大きな踏み絵だ。条件付きの自分ではなく、過去も現在もひっくるめた俺の全てを受け入れてほしい。冤罪で人生を破壊された可哀想な俺、ではなく、それも込みで清濁合わせた今の俺では受け入れられないのか、という練の心の声が聞こえてきそうだ。二人の間のごちゃごちゃしためんどうくささをうっちゃって自分に正直に、とは本書冒頭の麻生の弁。
読了日:04月23日 著者:柴田 よしき

フラジャイル(22) (アフタヌーンKC)フラジャイル(22) (アフタヌーンKC)感想
すっごく「大団円」感が漂っているもんだから、最後の1ページっていうか次巻予告まで、この巻が最終刊だと思ってた。(笑)次回は満を持しての大魔王(?)間瀬さん再登場。
読了日:04月22日 著者:恵 三朗



聖なる黒夜(下) (角川文庫)聖なる黒夜(下) (角川文庫)感想
練が愛おしい。そして麻生がウザい。このナルシストめ!そしてどいつもこいつも話しすぎだ。いい年した男どもがぺらぺらペラペラと紙が燃えるみたいにしゃべりやがって、「沈黙は金」ってのを知らねえのかよ!出てくる男どもがどうにもお喋りで、女々しく感じられて、いやなの〜!基本黙って行動する練ちゃん意外、全員ウザい!!!・・・・でも、面白かったです。滅法面白かったです。当然、RIKOシリーズも、私立探偵、も所轄刑事も、園長探偵も読みますとも。あと、新宿、参宮橋、代々木5丁目、府中、武蔵小金井、知ってる土地だらけだった。
読了日:04月20日 著者:柴田 よしき

聖なる黒夜(上) (角川文庫)聖なる黒夜(上) (角川文庫)感想
【CNC犯罪小説クラブ】上巻読了です。信頼する読み友さん2名から熱烈ご紹介のこの本。日本人作家ものを苦手とする私ではありますが、これはど真ん中、と言わざるをえない。「感謝する」で滂沱です。山内の有りようが切ない。才能があって前途洋々たる青年の人生がこうもねじ曲げられてしまう。ホテルで殺害された大物ヤクザを軸に、錯綜する人間関係と事件。確かに『囀る鳥は』の世界観で読める。これは警察小説なのか、ハードボイルドなのか。それとも?? 韮崎の愛情、皐月姐さんの慈愛、麻生の真情。地べたでのたうつ人間のあがき。
読了日:04月17日 著者:柴田 よしき

読書メーター

2022年5月1日日曜日

0342 報復のカルテット  (ハーパーBOOKS)

書   名 「報復のカルテット」
原   題 「The Cellist」2021 年
著   者 ダニエル・シルヴァ
翻 訳 者 山本 やよい
出   版 ハーパーコリンズ・ ジャパン  2022年4月
初   読 2022年4月25日
文   庫 600ページ
ISBN-10  4596429251
ISBN-13  978-4596429254
読書メーター https://bookmeter.com/reviews/106114147

 2020年3月〜2021年4月。
 世界はcovid(新型コロナウイルス)に支配されている。

 ガブリエルは、故郷のイズレエル谷のラマト・ダヴィドに程近いナハラルのコテージをオフィスから適正価格以上(←ここ、ポイント!)で賃貸し、妻と子ども達とともに、エルサレム旧市街の自宅からコロナを避けて仮住まいしている。
 双子たちは5歳になり、田舎暮らしで日焼けして、人間の友達とは遊べなくとも羊や牛やひよこを友として逞しく成長中。一方のガブリエルは新しくオフィスが入手したガルフストリームに現金入りのスーツケースを乗せ、人工呼吸器や検査薬や医療用防護衣を世界中で買い付けて、国内の病院に配布。ガブリエルの行動に、政治家への転身の準備か・・・とのマスコミの噂も。
 当のガブリエルはそんな噂は歯牙にもかけず、コロナ対策の傍らオフィスでイランの核開発関連施設の破壊や要人謀殺の陣頭指揮も執っている。
 そんな折、ガブリエルの命の恩人でもある旧友のイギリス在住のロシア人富豪が毒殺される。
 今はMI6のケラーと恋仲になり、イシャーウッドの画廊の後継者として地場を固めつつあるサラ・バンクロフトも事件に巻き込まれ、事態を看過できないガブリエルはMI6のグレアム・シーモアやケラーと協力して動き出す。

 殺されたヴィクトル・オルロフが追っていたのは、ロシア大統領(ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ(プーチン、と書かないのは“フィクション”の体裁を維持するため?)が西側に不正に蓄財した財産とその違法な手段。ロシア国庫から莫大な資金を不正に海外に持ち出し、西側の悪徳金融機関を通じて大規模なマネーロンダリングを行い、不動産投資や様々な方法で蓄財している、その資金洗浄ネットワークにいかにして潜入し、機構に打撃を与え、その金を奪い獲るか。これまでもガブリエルが血で血を洗う闘争を繰り広げてきたロシア大統領との戦い再び、である。


 しかし、あまりにも規模が大きい話になっているためか、物語中盤に到るまで解説的な文章が続いて大きな動きがなく、かなり地味な印象。それに、ちょっとストーリー展開が安直な気もしないでもない。過去のガブリエルの恋人アンナ・ロルフ(第2作『イングリッシュ・アサシン』)や、他にも過去作に登場した人物が再登場し、なんとなくオールスター登場のサービス回っぽい感じもあって、いよいよシリーズもグランドフィナーレかな、という感じもする。


 イギリスパートには必ず登場する、ダートムーアのワームウッド・コテージのおなじみの面々も登場。執事のパリッシュも相変わらずのご様子なのが嬉しい。パリッシュの有能な相棒のミズ・コヴェントリーは、これまでただの料理番の役どころだったが、じつはロシア語も堪能な元諜報部員であった。ケラーがお気に入りの彼女は、彼が滞在するときには必ず特製のコテージパイを用意する。食材に豚肉は避けるようにと言われて、パリッシュは客人にイスラエル人の友人が含まれていることを察する。ここは、『英国のスパイ』で爆弾テロの標的となったガブリエルが担ぎ込まれて、治療を受けたりもしたMI6の隠れ家である。


 そして、もう一つ、ラストに大きな山場がある。そう、アメリカ大統領選挙だ。
 ロシアとの真っ黒な関係が取り沙汰されていたトランプ氏であるが、あの選挙選最中のQAnon絡みの騒動は日本人の記憶にも新しい。と、いうか件のQからの情報発信が日本発祥の巨大匿名掲示板(2ちゃんねる)の関係者が米国で運営する4chanと8chanで行われていた事実にはちょっと驚く。2ちゃんねるなんて、ネットリテラシーをわきまえた大人の遊び場くらいに思っていた身としては、これが大衆扇動の凶器になりうるという事実に,認識の甘さを突かれた思いだ。
 作中でガブリエルは、これがアメリカを混乱に陥れ、アメリカ民主主義を根底から脅かすロシアの情報戦略であること、そして大統領就任式に企図された大統領暗殺計画を把握し、これを未然に防ぐ為に大統領候補の元に飛ぶ。しかし、ロシアの本当の狙いは大統領ではなかった・・・・・
ダニエル・シルヴァが参考にした、オラツィオ・
ジェンティレスキ作『リュートを弾く女』

 今回シルヴァは、米大統領選の混乱とホワイトハウスへの暴徒の乱入、というアメリカ民主主義の危機を目の当たりにして、後半を大幅に書き直したという。あらためてWikiでQAnon関連のコンテンツを読んだが、人はいかに簡単に荒唐無稽な話を信じることができるのか、また『信じ』たが最後、どこまで愚かな行動に走ることができるのか、とこれまた暗澹となる。今、コロナで学校でもオンライン授業が大規模に導入され、国のICT計画で、小学生まで一人一台タブレットが用意される時代となった。


 ネットリテラシー教育が追いついていくのか、情報弱者や判断能力の低い層が喰いものにされないように、どのように防御していくことができるのか、決して人ごとではない。人は、信じたいものを簡単に信じてしまい、そして一度信じたら、なかなか意見を変えることができない存在だ。そして、「仲間」がいないと生きていけない生き物でもある。様々な理由から分断され、孤独感を味わっている人々が、ネットの裏に潜む悪意からどのように身を守っていけるのか、これからの社会のあり方を方向付ける上で、非常に重要な課題であると感じている。


 それにしても、これまでダニエル・シルヴァのプーチン&ロシア嫌いは偏執的な域なんじゃないかと感じたりしていたのだが、こと、現実がウクライナで示されているのを見ると、いやはや、と驚き・・・・というか嘆息。シルヴァの情報筋のアドバイザーは当然ながら明かされていないが、いつものことながら、この巻末ノートを世に出すために小説を書いているのではないかという気すらする。なにはともあれ、巻末は必読。


アルテミジア・ジェンティレスキ作
『リュートを弾く自画像』
【追伸】 
 前にもどこかで書いたけど、ダニエル・シルヴァは人体の強度については少し考えを改めたほうが良いと思うよ。ガブリエル、これまでにも肺を損傷するような銃創2回、爆弾テロに遭遇すること3回・・・いや、4回か。(イングリッシュ・アサシン、英国のスパイ、ブラックウィドウ、灼熱のサハラ)、シェパード犬に噛まれて左手を骨折し、爆弾テロのガラスの破片で腕の腱を痛め、ボコボコに殴られて、全身打撲と顔面骨折と100針縫う大怪我・・・・。翻訳されているだけでコレだからね。(あ、いや、サウジで胸を撃たれた話は翻訳されてないや。)そういやあ、バイク事故で石畳みで背中をすりおろしたこともあったっけ(『告解』)。あのときは頭蓋骨骨折もしていた。それ以外にも、ルビヤンカで殴られて眼窩を骨折して失明の危機、とか、階段から突き落とされたらしいとか、未訳本の方にもいろいろ。おまけに、今回は文字通り瀕死の重傷。
 ガブリエル、若作りに見えるけど、もう70歳だからね。労ってあげようよ。ジャンプヒーローはもう卒業させてあげて!
 ほんと、スパイ小説のヒーローは数あれど、ガブリエルほど、穏やかな引退生活を送らせてあげたいと願うキャラクターはいない。大好きなベネツィアで、愛する妻子に囲まれ絵筆を握り、老後の穏やかな時間を過ごさせてあげたい。ガブリエル引退まで、あと1作か2作だろうか。もう、祈るような気持ちだ。


 ガブリエル・アロンシリーズ。次作は『Portrait of an Unknown Woman』 2022年7月刊行予定です。さて、ガブリエル引退まであと7ヶ月。しかし、タイトルからしてまた女絡みだなあ。